先の大戦が始まって12月8日で80年。戦禍に倒れた落語家や漫才師、講談師ら「戦没笑芸人」たちも少なくない。1945年6月の大阪大空襲で亡くなった二代目桂花団治さん(享年48)もその一人。名跡を継承した三代目花団治(旧名は桂蝶六)さん(59)は空襲の悲惨な記憶を風化させることなく、落語を通じて次の世代に知ってもらいたいと、創作落語「防空壕」を制作。12月5日にピースおおさかで開かれる平和祈念事業「落語と平和」で披露する。
「二代目のご遺族(弟の孫)によると、防空壕の入り口あたりで亡くなっていたらしいとのことです」
花団治さんは、遺族の同意を得たという戸籍の写しを見せてくれた。
二代目の本名は近藤春敏。1897(明治30)年10月7日広島県福山市生まれ。本籍は大阪市東区(現中央区)南農人町とあり、亡くなったのは1945年6月15日だった。
この日、大阪は4回目の大空襲に見舞われた。3月10日の東京大空襲から始まった京都を除く、当時の5大都市への焼夷弾爆撃の最後を飾る大空襲で、米軍はこの後、地方都市への焼夷弾爆撃と軍需工場へのピンポイント爆撃に転換する。
来襲したB29爆撃機は444機。午前8時40分から2時間にわたって焼夷弾3150㌧を投下した。計8回を数える大阪大空襲の中で最も大規模な空襲だった。
大阪市北西部と東部、隣接する兵庫県尼崎市の約6・4平方㌔が焼失、477人が死亡し、17万6000人余が被災した。
「二代目はその前年に花団治を襲名したばかりでした。どれほど無念だったか……」
花団治さんが三代目の名跡を継いだのは2015年4月。以来、毎年6月になるたび、戦争のことが頭をよぎるという。
……
衆院選で公示前の11議席から4倍近い41議席を獲得した日本維新の会。大阪では19選挙区中、「大阪都構想」に賛成した公明党の4選挙区以外の15選挙区で全勝した。自民党は全敗。立憲民主党の辻元清美氏(10区)は比例復活もならなかった。なぜ維新は大阪でこんなに強いのか。
選挙戦最終日、10月30日夜、大阪市中央区の高島屋大阪店前に松井一郎氏や吉村洋文氏が姿を見せると一斉にスマホが向けられた。松井氏は日本維新の会代表で大阪市長。吉村氏は副代表で知事。大阪維新の会代表でもある。
吉村氏がマイクを握る。「改革政党にパワーを頂きたい。強い自民党に一泡吹かせたい。なんでも反対の立憲もダメ。大阪の新型コロナ感染者が増えてきたら『吉村が悪いんだ』って言ってました。代表の名前、言いませんが、枝野さん。国のために、大阪のために何をしたんですか。辻元さんは何をしたんですか」 辻元氏や枝野氏、さらには太田房江元知事(現自民党参院議員)の名をあげこき下ろす。辻元氏は選挙区のライバル。枝野氏については、第4波での大阪の医療崩壊をめぐり「一番悪いのは知事」と言われ根に持っているのだろうが、犠牲者や府民に謝るのが先だろう。
しかし、そんな一つ一つに拍手が起きる。マイクを引き取った松井氏が「吉村さんは橋下さんばりに演説が上手くなりました。特に人の悪口いうところ」と軽口を叩き、またどっと沸く。
……
岸田新政権は、18歳以下に対する10万円給付をはじめとするバラマキ、コロナ感染第6波対策、「新しい資本主義実現会議」「デジタル田園都市国家構想実現会議」「デジタル臨時行政調査会」「民間賃上げのあり方会議」「経済安保法制制定」等々、次々に提起し、みんなの関心を従来からの疑惑や問題に集中させないようにしている。
これらは経済対策でも、コロナ対策でもない。すべては来年に予定されている参院選対策でしかない。
自民党総裁選で安倍元首相が「河野潰し」で高市候補をぶつけ、決選投票で岸田支持に回って思惑通り河野を潰し、勝てない男と言われていた岸田氏が決選投票で逆転、安倍・麻生の思惑通り岸田政権が発足したことは周知の通り。首相就任からわずか10日、ボロの出ないうちにと最短最速解散・総選挙に打って出たのが功を奏し、また立憲・共産らの野党共闘に対する危機感をあおると同時に古めかしい反共攻撃を徹底的に行うことで、大方の予想に反して岸田自民は絶対多数を獲得、日本維新・国民民主など改憲賛成衆院議員は改憲発議に必要な3分の2を超えて4分の3となった。特別国会で再び首相に指名され第2次岸田政権が発足、改憲論議を進めることを表明、敵基地攻撃能力の保持についてもふれた。非常に危険な方向に日本の政治は流れていると危機感を持たないわけにはいかないが、共産党や野党共闘を推進した人たちの中には、今回の結果について自分たちの方針は間違っていなかったと総括する人もいるが、気楽すぎるのではないか。
この間の政治動向と総選挙結果について、私はすべて最悪の結果になったと思っている。情けないと言うか、残念と言うか、とにかく腹立たしくて仕方がない。
とりわけ大阪はそうだ。以前からの国政選挙・地方選挙の結果から維新圧勝は予想できたが、投票総数約400万票のうち維新が172万票も取り、自民がその半分以下で82万票、維新は大阪の19選挙区中15選挙区に候補者を立てて全勝、自民党は選挙区で全敗、1人だけが比例区復活、立憲民主党は辻元清美、平野博文という全国的にも知られた幹部中の幹部が落選し、見る影もなくなった。
公明党は維新が推進してきた大阪潰しの「都構想」住民投票実施に賛成するのみならず、「都構想」そのものにも賛成すると方針転換をした結果、公然たる「密約」で維新が公明党立候補の選挙区に候補者を立てなかった結果、全員当選させてもらい、公明党は言いなりにならざるをえなくなり、大阪は完全に維新の天下になった。
……
大学での軍事研究を許していいのか。防衛省による研究費制度「安全保障技術研究推進制度」に応募する大学が今も後を絶たない。対象テーマは将来的に自衛隊の装備に活用できる技術の基礎研究で、5年間で最大20億円が支給されるという。大学の軍事研究の現状と展望について、岡山大名誉教授の野田隆三郎さんに寄稿していただいた。
前の戦争で科学者が戦争に全面的に協力した結果、人類に想像を絶する惨禍をもたらしたことへの痛切な反省に立って、戦後、日本の科学者は「戦争を目的とする科学の研究には今後、絶対に従わない」
(日本学術会議声明1950年及び67年)と固く誓って再出発した。
それを受けて、戦後、日本の大学は軍事研究とは一線を画してきたが、2015年、「安全保障技術研究推進制度」と称する防衛省の軍事研究の公募制度が創設され、軍事研究が公然と開始されるにいたった。
同制度は軍民両用を掲げ、民間のすぐれた技術を軍事に取り込むことを狙ったものだ。
同制度の発足とともに、学術会議内にも軍事研究解禁の声が出始めるなか、学術会議は2017年、「50年声明、67年声明を継承する」とする新声明を発表する(以下17年声明)。軍事研究解禁反対派が辛うじて推進派を抑えたのである。
この新声明の効果もあって、
防衛省公募研究への大学からの応募は初年度の58件から、ここ2、3年は10件程度に激減している。また旧帝大系の有力大学も応募を自粛している。
その一方で17年声明にはあいまいさも残る。「防衛省公募制度は問題が多い」と言いながら、応募すべきではないとまでは言っていないのだ。それどころか、学内の適当な審議を経れば応募してもよいと読み取れる一文があるなど、どっちつかずの声明である。そして、いまもいくつかの大学は、この一文を錦の御旗にし、「学内で審議の結果、民生技術の基礎研究であって軍事研究ではないと判断した」と称して防衛省公募に応募を続けている。
しかし、そもそも防衛省公募要領には「防衛分野での将来における研究開発に資することを期待し、先進的な民生技術についての基礎研究を公募・委託する」と書かれている。このように公募する側が将来の軍事転用を目的に民生技術の基礎研究を公募しているのであるから、応募する側が「民生用の基礎研究であって、軍事研究ではない」などと言うのはナンセンスであり、応募を正当化する理由には全くなりえないのだ。このことを応募大学につきつけて追求した際の大学の対応、居直り様を以下に記す。
筑波大の永田恭介学長は国立大学協会の会長を務めている。その筑波大が19年、防衛省の大型軍事研究に大学としてはじめて採択された。筑波大は「軍事研究はしない」とする学内規定を設けている。
われわれの追及に対し、永田学長は「軍事研究とは他国への攻撃につながる研究であり、防衛のための研究は構わない」と居直った。前代未聞の驚くべき発言だ(東京新聞20年3月27日電子版)。
さらに永田学長は防衛省の公募要領に「防衛分野での研究開発」と書かれているから応募しても問題ないと述べた。まさに、大学が防衛省のお先棒を担いでいるのだ。私たちは、現在、筑波大の軍事研究の中止を求めるネット署名に取り組んでいる。パソコン、スマホで「筑波大学軍事研究署名」で検索すれば署名サイトにアクセスできる。ぜひ署名にご協力ください。
岡山大は防衛省公募に3回採択された唯一の大学である。この意味で岡山大は軍事研究の先頭を突っ走る大学である。 岡山大は17年、「マッハ7以上の飛行に関する研究」(分担研究)で防衛省に採択された。岡山大は、これをも「民生技術についての基礎研究」であると主張している。18年にわれわれが、その根拠を問う質問書を提出したところ、驚いたことに防衛省の公募要領にそう書いてあると回答したのだ。
岡山大にはこれまで3回軍事研究の中止を求める申し入れを行っており、今年は4回目である。今年の申し入れではあらためてこの問題を取り上げ、理を尽くして追及したが、対応した研究協力部長は全く取り合わず「学内で民生技術の基礎研究と判断した」の一点張り。論理が全く通じないのだ。と言うより、論理では勝てないと見て、居直ったのだ。常日頃から、大学は腐っていると思ってはいたが、ここまでひどいとは思いもしなかった。最高学府のこのような横紙破りは断じて許されない。私たちは今後も追及し続け、文書による回答を求めていく。
それとともに、今回の申し入れで、大学の軍事研究反対を学生にさらにアピールしてゆく必要性を痛感させられた。現在、ほとんどの学生は大学が軍事研究をしていることすら知らない。大学も学生に暴露されることを何よりも恐れている。
「国立大学は文科省の植民地」(河野太郎元行革担当相)と言われるように、いま国立大学は庶民にではなく、政府、財界、官僚に奉仕する大学と化している。かつては産学協同はダメだという時代もあった。それがいつのまにか当たり前になり、いまや産学協同に長けた人物ほど学内で幅を利かすようになっている。 軍学協同はどうか。北朝鮮脅威、中国脅威があおられるなか、国民の間にも、マスコミ界にも、そして学界においても自衛のための軍事研究は許されるという風潮が強まっている。これはきわめて重大で放っておけば今後強まる一方であろう。この流れにどう立ち向かうか、いま私たちに問われている。
山口県宇部市で11月12、13の両日に行われた将棋の竜王戦七番勝負第4局で藤井聡太(19)が豊島将之竜王(31)にストレートで4連勝し、19歳3カ月の最年少で4冠達成となった。
快挙は羽生善治九段(51)が22歳9カ月で達成してから28年ぶりの記録更新。達成時の年少順は3位以下、中原誠(74)、谷川浩司九段(59)、大山康晴(故人)、米長邦雄(同)と大棋士ばかり。
藤井は「最高峰のタイトルなので光栄に思います」「ここまで結果を出せているが課題が多い」。「一強時代では?」と向けられると「そういう印象はなく常に危機感を持ってやっている」など、相変わらず優等生発言。しかし翌朝は「昇龍」と揮毫した色紙を持参し「初めて竜王という肩書を色紙に書いて、今後少しずつ実感する場面も増えてくるのかなと」とうれしそうに話した。
記者会見が短く実現しなかったが、質問したいことがあった。終盤、豊島に3五桂馬を指された瞬間の感慨である。豊島の大きな敗着だったからだ。
初日、先手の豊島が角を早々に交換し、「腰掛銀」から4枚の銀が中央付近でにらみ合う展開。藤井の封じ手「4五同銀」が13日朝、立会人の崎文吾九段の手で開封され、一進一退の攻防となる。筆者は対局室や記者控室のあるホテルから徒歩10分ほどの「渡辺翁記念館」の大盤解説場でファンとともに戦局を見守った。 解説は大橋貴洸(たかひろ)六段(29)と村田智穂女流二段。藤井の8七飛成の攻撃を見て「詰めよ(王手ではなく次の手で詰む手)ですね。あ、詰むかな」などと何通りも検討していた。双方がっちりと自玉を囲ってはおらず、斬るか斬られるかの緊迫した局面だった。「難しいですね」「わからないなあ」を繰り返す大橋六段は「駒を使ってもわからないのに二人は頭で考えるんですからすごいですね」と話した。
午後4時半頃から豊島の手がぱたりと止まった。5時の大盤解説の小休止後も指さない。その時点でもスマホで見たAbemaTVのAI評価値は60%ほどで豊島有利を示していた。藤井は残り時間が9分に対し、豊島は2時間以上残していて「藤井三冠はさすがに厳しそうだな」と感じた。6時に再び休憩時間となり、村田女流二段が「指しそうにないですね。しばらくかかるな。休憩しましょう」。会場の人たちは席を後にし、筆者もホテルに戻った。
ところが、3階の記者控室でパソコンを開いて仰天した。豊島のAIの勝率がたった1%になっているではないか。慌てて毎日新聞のベテラン記者に尋ねると「豊島さんが3五桂馬を指したら一挙に悪くなりました。このまま負けてしまえばこれが失着だと思いますよ」と話した。
3五桂馬は、藤井玉にとって脅威だった豊島の飛車筋を自らふさいでしまうなどデメリットも大きかった。決着までもう時間はかからない。2五金の藤井の王手。しばしの静寂の後、午後6時41分、豊島は将棋盤に手をかざして頭を下げ投了した。
……
アフガニスタンの首都カブールの冬は寒い。1月には零下20度まで下がり、雪と氷の街になる。そんなカブールの公園や小中学校の中庭、国道沿いの空き地などには野宿する人々が多数。この春から夏にかけてアフガン各地でアフガン政府軍とタリバンとの戦闘が続いて、タリバンが圧勝していた。地方都市から人々が、「首都なら大丈夫だろう」と逃げてきたからだ。そのカブールがあっけなく陥落。国連その他の人道支援組織が国外に脱出したため、着の身着のままの貧しき人々が取り残されてしまったのだ。私はいただいた募金をカブール在住のアブドラに送金し、彼は緊急の炊き出しや防寒着の配布などを行ってくれている。ちなみにアフガニスタンへの送金は「テロリストに金が流れるのを防ぐ」ため、法律が改正(改悪?)されていて、一度にたくさんのお金を送れなくなっている。小口資金に分けて送っているのだが、その度に高い手数料を取られる。「人が死にそうになっているのに、なんという窮屈な制度か」。銀行の窓口で憤りながら、毎回矛盾を感じている。
それでも支援金でコメと小麦を買い出して、貧困家庭に配ることができた。かつては「物乞い」といえばブルカを被った女性の仕事だった。アフガニスタンは女性が最も差別されている国の一つで、女性はなかなか仕事に就けない。夫を失った女性はブルカを被って街に座るしかない。11年の冬、国道沿いの雪の中に座り込む女性を取材した。長靴にコートを着ても震えるような寒さなのに彼女はペラペラのブルカとサンダル。靴下ははいていなかった。
カブール陥落後「男性の物乞いが増えた」とアブドラ。米軍や国連、赤十字などがいなくなって仕事がなくなった人々。持ち金を使い果たして物乞いになる。誇り高きパシュトゥーンの人々であるが、背に腹は代えられないのだろう。引き続き日本から送金して、この冬を越せるように支援を継続していきたい。
さて、今月は「タリバンとは一体何者で、なぜ政権を取れたのか」について、歴史的に振り返ってみたい。1973年、国王ザヒル・シャーに対する無血クーデターでダウド政権が誕生。ダウドは王制を廃止して共和制に。旧ソ連の庇護を受ける。この後、ダウドは徐々に隣国パキスタンやイラン、イスラム国家のサウジなどと等距離外交に移る。78年の軍事クーデターでアフガン人民民主党(共産党)のタラキが政権奪取。旧ソ連の衛星国になる。79年、その人民民主党内部でタラキとアミンが対立。アミンは米国に近づいていく。当時は冷戦の真っ最中。タラキと旧ソ連が「アミン暗殺計画」を立てるが、これを事前に察知したアミンが(CIAが介在か?)逆にタラキを殺害。アフガンが急速に米国に近づいていく。ここで焦った旧ソ連がアミンを倒すためにアフガン侵攻。アミンが殺されてカルマル親ソ政権になる。
ここでアフガンゲリラが生まれる。旧ソ連は侵略軍だ、国を守るためにイスラム兵士よ、決起せよ。やがてアフガン全土が内戦状態になり、米国やサウジなどは旧ソ連を倒すため、大量の武器と資金をゲリラ側に注入する。西側の武器と資金は隣国パキスタンを経由して入った。パキスタンは武器と資金を中抜きして、軍事大国に成長する。この時サウジアラビアからゲリラ側に送り込まれたのが大富豪のオサマ・ビンラディンであった。かつてのビンラディンはアメリカの武器で旧ソ連と戦っていた。89年、ついに旧ソ連軍が撤退しゲリラ側が勝利する。その後のアフガンはさらに悲惨な状態になった。あふれる武器と軍資金が、各民族の軍閥に注入されたので、パシュトン人のヘクマティヤル、タジク人のマスード、ウズベク人のドスタム、ハザラ人の将校たちが、それぞれの領土拡大を求めてバトルロイヤルのような戦争になってしまう。この悲惨な内戦中の94年、彗星の如く現れたのがタリバンだった。タリバンは「神学生」という意味で、パキスタンが作った軍隊である。インドと全面対立するパキスタンは「前門の虎、後門の狼」にならぬよう、アフガンを自国の支配下に置きたかった。そこでタリバンをまずカンダハルに送り込み、支配させた上で、ヘラート、カブールとわずか3年間で国土の7割を支配した。この頃ビンラディンは何をしていたのか? 91年に湾岸戦争が勃発すると、ビンラディンはサウジに戻り、国王に「俺たちイスラム義勇兵がイラクを打倒する」と進言。しかし国王はビンラディンたちイスラム兵士に頼らず、米軍をサウジに駐留させた。「異教徒=米軍を、サウジ=イスラムの聖地に入れるとは何事!」。ここでビンラディンは反米になりアルカイダを結成する。
10月31日に投開票された総選挙は、与党が絶対安定多数を維持する結果に終わった。多くの「本来なら救えた命」が失われた新型コロナウイルス対策のお粗末さ、モリカケ問題をはじめとした数々の疑惑の未解決、そして2代続けて首相が職責を放棄するという前代未聞の事態……それでも与党は「支持」されたわけだ。そして、憲法改正に前向きとされる日本維新の会が議席を4倍近くに増やし、同様の国民民主党も議席を増やす一方で、立憲民主党と共産党はそろって議席を減らした。
結果以上に深刻なのは投票率である。少なくともこの夏までは、自公政権に対する不満・不信が渦巻いているとされ、政権交代も起こり得るような状況があったはずだ。多くの人々が「このままではいけない」と考え、「一票の権利」の大切さを自覚して投票することが期待された。だが、ふたを開けてみれば投票率は戦後3番目の低さとなる55・93%だった。もはや、日本の民主主義は瀕死の状態にあると言える。この現状そのものが、私たちが抱える最大の脅威かもしれない。
総選挙の最中の10月21日、北海道の人口2800人余りの小さな港町で町長選が告示された。原発の稼働によって生み出される高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場選定に向けた「文献調査」が進む寿都町(すっつちょう)だ。調査受け入れを決めた現職の片岡春雄町長に対し、撤回を訴える元町議の越前谷由樹氏が立候補し、20年ぶりの町長選が行われた。奇しくも「原子力の日」の10月26日に投開票され、片岡氏が1135票を獲得、200票ほど差をつけて越前谷氏を破り、6選を決めた。投票率は84・07%だった。
……
社内で民族差別をあおる文書を繰り返し配布されるなどして精神的苦痛を受けたとして、在日コリアン3世の50代の女性が大手住宅メーカー「フジ住宅」(大阪府岸和田市)と会長を相手に3300万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が11月18日、大阪高裁であった。清水響裁判長は一審・大阪地裁判決から賠償額を132万円に増額し、文書配布を改めて違法と判断した。一審判決後も差別的な文書が配られ続けたとして、会社側に配布の差し止めも命じた。
判決などによると女性は2002年、フジ住宅に非正規社員として入社、韓国名で働いてきた。13年ごろから同社では今井光郎会長の主導で、ほぼ毎日、在日韓国・朝鮮、中国への差別的内容や、特定の歴史観に基づく雑誌やネット記事、書籍、DVDなどが繰り返し配られるようになった。社員には業務日誌に感想を書くよう促しており、日々配布される文書には、論調に賛同する感想文のコピーなども含まれていた。
女性は14年5月、弁護士団体が実施した「派遣110番」に電話。それがきっかけで15年1月、文書の配布をやめるよう改善の申し入れをした。しかし、その後も止まらなったため同年3月には大阪弁護士会に人権救済を申し立て。すると同社は300万円と引き換えに退職を迫ってきた。同年8月末、 女性は「文書の配布で精神的苦痛を受けた」として在職しながらの訴訟に踏み切った。
地裁堺支部は20年7月、文書の配布行為について「社会的に許容できる限度を超えている」と判断、会社側に賠償を命令した。しかし、同社は配布を止めず、女性を攻撃する内容の配布物も増えていったという。
判決はまず、会社側には差別的思想を職場に広げない環境づくりに配慮する義務があるとの判断を示した。その上で、清水裁判長は「差別を助長する可能性がある文書を継続的かつ大量に配布した結果、現実の差別的言動を生じさせかねない温床を職場に作り出した」と指摘。会社側は義務に違反し、女性の人格的利益を侵害したと結論付けた。
女性は控訴審で同社が一審判決後も配布し続けている文書の差し止めを求める仮処分を申し立てた。清水裁判長は女性側の訴えを認め、差し止めを決定。仮処分は即座に効力が生じるため、会社側は決定に応じる必要がある。会社側の一連の対応を踏まえ、賠償額も一審判決の計120万円から計132万円に変更した。
女性は判決後の会見で、「一審判決後も会社は変わらなかった。今度こそ判決を受け止めて、会社には変わってほしいと思う」と訴えた。
弁護団は「差別的な意識を醸成させないように配慮することが企業の義務と明示した画期的な判決」と強調。会社側は判決を不服として上告する意向を示した。
新聞うずみ火主催の「うずみ火講座」が11月6日、大阪市北区のPLP会館で開講、市立木川南小学校の久保敬校長が「今、教育を問い直す~『生き合う』社会を目指して」と題して講演した。
緊急事態宣言下で松井市長が急きょ導入を決めたオンライン授業を巡って提言書を送り、文書訓告を受けた久保さん。まず、問題視された市長への提言書を朗読した。なぜ、市長に提言書を送ったのかについて、「教育の独立性が損なわれても、声を上げてこなかった自分への怒りだった」と振り返った。「今、何のための誰のための教育なのか、根本的なことを問い直さないといけないのではないか。教育の現状をみんなで考えないとダメではないかと考え、提言書という形になりました」
さらに、久保さんは「子どもの本質は昔と変わらない。変わったのは子どもを取り巻く環境だ」と指摘する。「マクドで小学5年ぐらいの子らがたくさん注文しているのに、店員さんは『ポテトはいかがですか』と声をかけていました。僕が子どもの頃は駄菓子屋へ1000円を持っていこうものなら『家から盗んできたのとちゃうか』と売ってくれなかった。『今だけ、金だけ、自分だけ』との考えが広がり、子どもたちを消費者としか見ていないのです」
NHK教育テレビ「バリバラ~障害者情報バラエティー」の取材で、児童が「いつも追われている感じがする」と答えたのを目の当たりにした久保さんは「主要教科の内容が過剰で、どんどんやっていかないと終わらない」現状を説明し、「保護すると言いながら管理し、支援すると言いながら強制し、参加させていると言いながら、時間が取れないから先生が描いた筋書き通りにやらせている。子どもたち自身で考え行動することが大切だが、大阪ではテストの点をあげようということに目が向いている」と語った。
誰一人取り残さない世界であるためには、「生き抜く社会ではなく、生き合う社会でないといけない」と強調する。「比べられ、競い合うことを強いられる社会は不幸。負けたら排除され、勝っても絶えず追いかけられる恐怖心がある。これは子どもの問題でなく、社会構造の問題です」
2000年7月、教育課程審議会会長だった作家の三浦朱門さんが「100人中2~3人のエリートを伸ばす。それ以外は実直な精神を持ってくれればいい」と発言したことがある。久保さんは「あれから20年。巧妙に推し進められてきた」と述べ、習熟度別教育の実情を語った。「できる、できないで分けることに、教師も子どもも抵抗があったのに、20年たって当たり前になっている。効率よく学習できるからと。でも、それは情報としていかにたくさん覚えたかどうか。しかも、個の尊重と言いつつ、個人に責任が負わされ、社会の構造的な問題が隠されているのではないか」と訴える。
最後に、久保さんは「当たり前を疑い、何か変だ、おかしい、嫌だと感じたら声に出すことが大事。それができてこなかった自分への後ろめたさが提言書になったのかなと思います」と語り、講演を締めくくった。
神戸市が外郭団体「神戸交通振興株式会社」を来春解散する。市交通局から16年にわたって魚崎営業所のバス事業を受託運営してきたが、入札で委託先が阪急バスに変わったためだ。営業所の運転手は公務員でなく、1年ごとの契約社員。9月の神戸市会で市交通局長は「再雇用に最大限努力する」と答弁したが、2カ月たっても再雇用は示されていない。
神戸交通振興は、市交通局が100%出資し1984年に設立された株式会社で、社員数は約360人(7月時点)。主に路線バスの運行や地下鉄の駅業務、駅ビル管理などを受託してきた。市は昨年9月、「行財政改革方針2025」を策定し、現在31ある外郭団体の見直しを検討。神戸交通振興は来年3月末で運行受託業務が終了し、4月1日以降は阪急バスに委託変更されるため、解散となる。
魚崎営業所では運転手105人のほか、運行管理の係員11人が勤務している。全従業員の雇用確保を求めて四つの労働組合が「神戸交通振興で働く労働者の雇用を守る会」を結成、交渉しているが、会社側は「阪急バスにお願いしているが全員は無理」「再就職会社と契約したので、そこで援助を受けてください」の繰り返し。10月には、市交通局長あてに雇用先の確保などを求める要請書を出したが、「神戸交通振興と連携して雇用受け入れ先のさらなる確保に努めていきたいと思います」などと通り一遍の回答だった。
運転手の一人は、「委託先が変わったから会社を解散しますってあり得ないでしょう。私らは使い捨てなのでしょうね」と語り、肩を落としていた。
大阪市立の高校22校が来年4月、大阪府に移管される問題で、市立高校の卒業生ら5人が大阪市長を相手取った訴訟の第1回口頭弁論(森鍵一裁判長)が11月15日、大阪地裁で開かれた。原告を代表して会社役員の綱島慶一さんが「昨年の住民投票で大阪市廃止は否決されたのに、市立高校の伝統ある教育を無視し、市の財産を府に吸い上げるのはおかしい」と訴えた。
移管で1500億円、市場価格で3000億円ともいわれる土地・建物が府に「無償譲渡」される予定で、原告は「大阪市民は大損害を被る」と主張している。無償譲渡は市長の裁量で決定、原告は差し止めを求めている。
市側代理人の説明で、市立高校の大半が未登記だったと判明。報告集会で原告らは「法的に存在しないものを松井市長と吉村知事は『あげる』『もらう』と合意していたようなもの」とあきれていた。
裁判長は来年3月末までに判決を出すと明言、次回期日は12月17日午後3時、次々回は来年1月17日午後3時から開かれる。
ナチスの強制収容所からの生存者がホロコースト時代の体験を語ったドキュメンタリー映画「ユダヤ人の私」公開を前に、大阪大大学院の木戸衛一教授(ドイツ現代政治)が、制作にあたった4監督のうち、オーストリア・ウィーン在住のクリスティアン・クレーネス、フローリアン・ヴァイゲンザマー両監督と教室をオンラインで結び、特別授業を行った。
この映画は、ホロコーストの記憶を被害者や加害者、賛同者、反逆者の視点から捉える「ホロコースト証言シリーズ」の一つで、ゲッペルスの秘書の証言を記録した「ゲッペルスと私」(2018年)に続く第2弾。
ホロコースト生存者のマルコ・ファインゴルト氏は1913年にハンガリーで生まれ、ウィーンで育った。39年にゲシュタポに逮捕され、45年に解放されるまでアウシュビッツなど四つの収容所を転々とさせられた。戦後はユダヤ人難民の人道支援に取り組むとともに、収容所での飢餓や目撃したナチスによる蛮行、ナチスに加担したオーストリアの責任などを訴え続け、2019年9月に死去。106歳だった。
……
大阪を中心に活動するマレーシア出身のリム・カーワイ監督(48)の「COME&GO カム・アンド・ゴー」が12月3日、大阪市北区のテアトル梅田で公開される。舞台は大阪・梅田周辺の繁華街「キタ」。技能実習生や留学生、難民、観光客などアジア各国からやって来た人たちと、大阪に暮らす日本人が織り成す158分の群像劇。多民族化の一方で閉鎖的な社会の「今」を浮き彫りにし、共生社会のありようを問いかける。
「カム・アンド・ゴー」は日本とアジアの関係をテーマにしたリム監督の「大阪三部作」の最終章という位置づけだ。1作目「新世界の夜明け」(2012年)では大阪の新世界に迷い込んだ中国人女性旅行客を主人公に。2作目の「恋するミナミ」(13年)では日中韓のラブストーリーを描いた。
リム監督は阪大卒業後、東京で6年間エンジニアをしたが、映画製作を学ぶため北京電影学院へ。10年に監督デビューした。「シネマ・ドリフター(映画流れ者)」を名乗り、香港、中国、バルカン半島など世界各国で撮影している。13年からは大阪に拠点を置く。最終章の舞台はリム監督が暮らすキタにした。
「キタは多くの国の人々が行き交う中継地点。コロナ前、LCCが関空と東南アジアとの間に就航して、訪れる外国人が一気に増えました。もはや大阪は単に日本の大阪ではなくアジアの大阪、世界の大阪になっています」
描いたのはコロナ前の春の3日間。アダルトグッズを買いにきた台湾の観光客、授業料が払えないミャンマーの留学生、マレーシアの大手旅行会社の社員、日本の人妻と愛し合うネパール難民の男性、母親が病気になっても帰国を許されず職場を飛び出すベトナム人技能実習生たちが登場する。地方出身の若い日本人女性がAV業界に足を踏み入れる場面も。エピソードはほとんど実話だという。
俳優はツァイ・ミンリャン作品の常連として知られる台湾のリー・カンションはじめ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、香港、中国、韓国、ネパールから人気俳優や歌手が集結。日本からは千原せいじ、渡辺真起子、尚玄らが出演。リム監督が全て交渉・調整を行い20日で撮影した。編集に半年かかったという。
……
■新治・吉次二人会
【大阪】落語家の露の吉次さんが主宰する「あみだ池寄席」は12月12日(日)で60回目、ゲストに兄弟子の新治さんを迎えての二人会。午後2時~大阪市西区の和光寺(地下鉄千日前線「西長堀駅」⑤出口から東へ徒歩2分)で。
当日は、新次さんが「口入屋」ほか1席、吉次さんが「君よモーツアルトを聴け」(桂三枝作)ほか1席を披露する。前売1500円(当日2000円)定員40人(要予約)。申し込みは吉次さん(06・6491・3554)まで。
■「北摂の歴史」出版
【兵庫】大阪電気通信大名誉教授の小田康徳さんが「明治の新聞にみる北摂の歴史」を神戸新聞総合出版センターから上梓した。
北摂とは、現在の大阪府池田市や箕面市、豊中市、兵庫県伊丹市や川西市、宝塚市などで、明治10年から22年までの新聞記事を通して北摂の人々の生活、さらには新聞の変容を追った一冊である。
■バイオリンコンサート
【埼玉】鎌田浩史さんのバイオリンコンサートが12月7日(火)午後2時半~狭山市市民交流センターで(西武新宿線狭山市駅西口直結)で開かれる。
主催者の根橋敬子さんは「バイオリンの音色の豊かさ、チェロの温かさをご堪能ください」と話している。
入場料2000円(小中学生は1000円)。根橋さん(電話&FAX04・2959・8514)まで。
■有元幹明さん逝く
【大阪】「ピースおおさか」初代事務局長で、平和・人権活動に尽力した有元幹明さんが11月2日、病気のため亡くなった。85歳だった。
元大阪市職員で港湾局に勤務。府・市共同出資の財団が1991年に開設した「ピースおおさか」事務局長時代、アジアでの加害に関する企画展示を毎年開催。有元さん自らが現地で資料を集めて回った。その原点には少年時代、朝鮮人の同級生を差別した苦い思い出があったと聞いた。
退職後も「日朝国交正常化の早期実現を求める市民連帯・大阪」共同代表や日本人による朝鮮学校支援の会の代表なども務めた。大阪での中国人強制連行の事実を掘り起こす活動にも奔走、2005年には、大阪築港をのぞむ天保山公園に「彰往察来」の文字を刻んだ日中友好の碑も立った。
10月16日、ここで営まれた殉難者追悼の集い(先月号掲載)には闘病中の身体をおして参加、司会を務めていた。
「歴史を鑑とし、未来に向かおう」という意味の4文字は有元さん直筆。孫には「亡くなったらここに会いに来い」と話していたという。私たちも「彰往察来」を胸に刻み、会いに行きたい。
地球は水がめ。水の総量は約14億㌔立方㍍。97・4%は海水で、淡水は2・6%。ほとんどは氷河や極地の水で、地下水や河川、湖などに、わずか0・6%しか存在していません。ただし、枯渇はせず、気体・液体・固体として地球上を循環しています。一方、21世紀は水紛争の時代と言われ、2025年までに20億人が水不足に陥るとの指摘もあります。
気候変動 地表付近の大気は、水蒸気を除き、窒素78%、酸素21% アルゴン1% 二酸化炭素0・03%などの割合です。「二酸化炭素が増えて、温暖化が加速する」との説を、世界の大半の科学者は疑問視しています。太陽の活動、太陽を周回する地球の軌道の変化(楕円と正円)、地球内部のマグマの活動、水蒸気の在、火山の噴煙など様々な要素が、気候変動に複雑に絡み合っています。
概論 水の使い道は、農業用水が8割、工業用水が2割、
家庭・生活用水が1割です。また、排水の8割が未処理のまま河川や海に放流されており、疫病や環境汚染の大きな要因に。水の供給は一定ですが、経済発展や工業化の進展もあり、増大する需要に追いついていません。工業用水の過半は、水力発電や火力発電の冷却水です。
ダムと渇水 世界の大河川の6割は巨大ダムでせき止められ、地球上の河川流量の15%に達します。13の河川流域は5カ国以上にまたがり、上流にダムが多く造られ、下流に深刻な影響を及ぼしています。
世界の実情 主要な地域のトピックスは以下の通り。
アジア 27%の砂漠を含めて国土の約半分が乾燥地域の中国。北京や沿岸部の大都市などの水不足なども深刻です。インダス、ガンジス、メコン、長江、黄河などインドや東南アジアに広がる大河の大半は、中国のチベット高原が源です。中印衝突の要因の一つは水資源の確保。中国は世界最多のダムを建設しています。
中東 チグリス川とユーフラテス川に挟まれた肥沃な湿地帯が深刻な水不足に。上流のトルコ、イラン、シリアで水の需要が拡大し、競うようにダムを乱造。特にトルコは、22のダムと19の水力発電所を建設する計画で、電力供給で経済の活性を目論んでいます。
アフリカ ナイル川の源であるエチオピアはアフリカ最大のダムを建設し、治水と電力供給の国家プロジェクトを目指しています。下流のエジプトは、1億人の人々がナイル川に飲み水を依存し、影響は深刻そのもの。中部アフリカに点在しているヴィクトリア湖、チャド湖なども環境破壊やダム建設などが災いし、湖水面積が減少、深刻な影響をおよぼしています。
中南米 アマゾン流域の乱開発が進み、熱帯雨林など環境悪化に歯止めがかかりません。
総論 困難ですが、水をマネジメントする必要性があります。1960年、インド・パキスタンはインダス川流域水協定を締結しました。中村哲さんの死も、隣国パキスタンとの水争いが一因との見方があります。「水」は、命を救い、平和につながっています。
聞き取り調査実施の経緯
国賠訴訟は勝訴したが、判決では、
米軍統治下の沖縄のハンセン病隔離
政策や差別被害について、実情はよ
くわからないとされ、沖縄にとって
大きな課題が残った。
そこで愛楽園自治会長の金城雅春
さんが、市民による入所者の聞き取
り調査を行い、沖縄における隔離政
策の真相究明をしようと宮古南静園
自治会に提案、両自治会が主体とな
って調査を実施することに。そして、
この調査のまとめ役を金城会長は森
川恭剛琉球大学法文学部助教授(当
時)に依頼したのである。
調査に向き合う
調査員はハンセン病問題に関心が
あり、やる気のある人なら誰でも参
加可能として、新聞、口コミで募集。
交通費のみ自治会負担のボランティ
アだった。
辻さんは調査員兼事務局員として
活動。入所者の一人一人と向き合っ
ていった。それぞれに発病前の生活
があり、発病したものを隔離する政
策によって人生を大き
く変えられていた。
沖縄ならではの戦争
や戦後の厳しい状況が
あり、生き抜いてきた
回復者の話は、どれ一
つとして同じものはな
かった。証言を聞き、
まとめていく作業は、
その人の人生を分けて
もらうことでもあった
という。
証言集編さん専属の研究員として
その後、聞き取った証言をどうま
とめ、世に出すかという議論に入り、
証言集発刊に向けて動き出す。20
04年、証言集編集事務局が設置さ
れ、辻さんは自治会雇用の研究員と
なり、毎日、園で証言と向き合った。
入所者にとって孫のような年齢であ
り、かわいがられたという。
証言集は07年に発刊されたが、02
年の調査開始から5年間で調査員1
11人が入所者189人、元職員ら
8人に聞き取り調査を行い、可能な
かぎりテープに録音した(02年当時、
入所者は400人)。守秘義務を徹
底しテープ起こしは業者に依頼。辻
さんはテープ100本以上を聞き、
語られた証言内容の確認を進めた。
必要があれば2次調査も行った。
証言の氏名掲載
編さんの最終段階で課題となった
のは氏名掲載であった。国賠訴訟勝
訴後に出す証言集。その人が生きて
きた証として残したいという思いの
一方で、入所者の多くは本名掲載へ
の戸惑いがあった。本名を出すこと
で家族に迷惑がかからないか。「別
の名前を考えてつけたらいい」。そ
んな声も聞かれた。それでも事務局
は、名前の一部でもいいから掲載し
ましょうと説得を続けた。
その結果、証言集に掲載された1
36証言のうち7割を超える方々が、
何らかの形で名前を出した。その中
でも51本は本名掲載。完全な匿名49
本を超える数だった。
これぞ顔芸! と思わずうなる噺がある。落語は話芸とはいうが、おしゃべりだけではない。身振り手振り顔の表情、中でも目の動きが多くのことを伝える。目は口ほどにものを言うだ。が、顔芸が至芸になる噺は滅多にない。
大みそか、借金取りに責められ困ってる男の家に、借金取りを睨んで撃退するという男が来た。有り金をはたいて雇うと、この男、玄関に座ってキセルで煙草をふかしながら、米屋が来ても魚屋が来ても、怖い顔して睨んでいる。借金取りは何を言っても睨んでるだけなので、あきらめて帰ってしまう。男は約束の分だけ睨み返して帰ろうとするので、あるじが「もう少しだけ睨んでくれないか」と頼むと、「そうしちゃあいられない。これから帰って家(うち)の借金を睨む」。
昔は節季払いが普通だった。要するに現代のローン。大阪は5節季(3月、5月、盆前、9月、大みそか。後に6節季に)だったが、江戸は盆前と大みそかの2回が節季で支払い日。この日をやり過ごすと、次の節季まで支払いを延ばしてもらえる。だから、金のない者は何とかして支払いを逃れよう、取り立てる方はどうかして払ってもらおうと、どちらも躍起になる。
大みそかは1年の総決算だけに、色んなドラマが生まれた。そこで落語にも様々な借金取りの噺や年末風景が描かれる。「かけ取り」では、借金取りの好きな物を持ち出して言い訳をする。狂歌の好きな大家が来ると狂歌で言い訳し、喧嘩の好きな魚屋には喧嘩を吹っかけて撃退する。
……
明治40(1907)年晩春、横田商会の横田永之助は、西陣の芝居小屋「千本座」を訪ねた。東京の吉沢商店が新派劇などで活動写真制作をスタートしていた。横田は京都で外国映画を輸入していたが、乗り遅れまいともがいていた。「うってつけの人がおるわ」と耳にし、千本座の若き経営者で演出家の牧野省三を訪ねたのだ。省三は自分の小屋に役者がいて、狂言作家として台本を書き、浄瑠璃も語るなど芝居の造詣が深い。横田は自分が持っている撮影機材やフイルムを提供し、制作費は1本30円という交渉だった。活動写真という新分野に興味を持っていた彼は即座に引き受けた。省三30歳の時だった。横田からいえば渡りに船だったが、省三にとってもこの出会いがなければ、後世に『日本映画の父』と呼ばれることはなかった。
省三はすぐに千本座に出演していた役者たちを使い、近くの境内で歌舞伎に題をとった『狐忠信』を撮ったが、役者がフレームから外れたり、ピンボケがはなはだしかったりで失敗。だが、省三はこの新しい見世物の魅力に取りつかれた。翌41年2月29日、長男・正唯(後のマキノ雅弘)が生まれる。その5月、真如堂境内で撮影した活動写真を完成させた。森蘭丸が奮戦する『本能寺合戦』だ。これが省三としての実質第1作になる。その後、歌舞伎の時代物を次々と生み出していた。しかし、1本30円の制作費は当時でも安かった。役者の手当から衣装、大道具、小道具の材料費、役者や裏方のためへの朝と昼、連日2回の炊き出しは牧野の家族総動員だった。作る毎に赤字が募る。
……
おととし叔母がなくなっていたことを、親戚から来た昨年の喪中ハガキで知りました。すぐに叔父に電話したもののつながらず。手紙を書きましたが、その返事も来ませんでした。
その叔父が突然、子ども夫婦とやってきたのです。家に上がることは固辞し、玄関先の立ち話で、叔母がすい臓がんで、いきなり余命宣告されたと聞きました。そして叔母の話もそこそこに、叔父は「選挙のお願い」を始めました。
一家が帰ったあと、私はなんとも言えない気持ちになりました。日常の不義理をもろともしない選挙運動のエネルギーに不気味さすら覚えたのです。
生前叔母からも「お願い電話」はかかってきましたが、話題の大半は近況報告だったため、選挙のことは受け流してきました。けれど安保法の成立後はさすがに黙ってはいられず「公明党って平和の党じゃなかったっけ? こんなことでいいの? 支持者こそ抗議すべきじゃないの」と言うと、叔母は「ほんとその通りなんだけどね」と言葉を濁し、その後、選挙のお願いはしてこなくなりました。
私自身は特に支持政党はなく、その都度自分なりに考えて投票してきました。近年は自公政権のあまりの腐敗ぶりに、政権交代できる状態を作らなければと、野党を応援し続けています。ダメなら替えられる。政治にはそうした緊張感が必要です。
政権のジャッジもせず、どんな政策をしようと応援する人たちに「自分」はないのかと思ってしまいます。組織票だけで決まらない政治にするためには、「個」の投票を増やすしかありません。
今回の衆院選では、若い俳優さんが投票を呼びかけるネット動画が話題を呼びました。良い試みだったと思いますが、思ったほどの効果はなかったようです。動画に注目した人たちは、もともと選挙に行っている層で、投票に行かない層には届いていなかったからだとか。
大学でネット分野の講義を担当して9年になりますが、若い人たちのネットで触れる情報は非常に限定的だと感じています。社会的な話題をほとんど知らないからです。昨年は、リクナビが内定辞退率を企業に売っていた事案を取り上げ、問題点や法改正について話しました。1、2年生中心だったこともありますが、「就活」という最も関心のある話題でも、ほとんどの学生は初めて知ったと驚いていました。そしてそのことに私が驚きました。
社会の問題に鈍感では、投票行動につながりません。内閣府の国際意識調査でも「自分の参加で社会は変えられる」と考える日本の若者は他国に比べ極端に低かったといいます。狭い学校内でさえ、校則で縛られ、がんじがらめにされている状態では、そもそも様々な理不尽に「おかしい」と思う感性も育ちません。
衆院選では高校生や小学生が野党候補者の演説を聞きに来た選挙区もあったようです。なぜ来たのか分析し生かさなければなりません。ネット社会で軽んじられがちな顔を合わせての対話が、特に若い人へのアプローチとして必要になっていくのではと思います。
(フリーアナウンサー・消費生活アドバイザー)
躍進した維新と
4党共闘の違い
兵庫県 中山正樹
今回の衆院選で躍進した日本維新の会にあって4党共闘になかったものは何か。
一つは、大阪府の吉村知事の1年以上にわたる連日のテレビ出演。これは在阪テレビ局の罪だと思います。二つ目は、短くて強いメッセージの有無。維新は「身を切る改革」を繰り返し訴えることで多くの有権者の心をとらえました(この「身を切る」にはウソがいっぱいですが)。
ところが4党共闘には共通の短くて強いメッセージがありませんでした。「国民の皆さんに正しいことを言いました」では訴求力がなく、何も伝わりません。
私は半年前までメーカーで新商品のマーケティングを担当していました。新商品を発売する際、どの層に、どのように訴えるのかを考えに考えます。今回の総選挙では、選挙に行ったことのない若い層や生活苦の人たちにしぼって、短くて強いメッセージを繰り返すことが必要だったと思うのです。
来年の参院選では、短くて強いメッセージを繰り返して、そのメッセージを受け取った人たちがうねりのようになって、獲得議席数が与党を上回るよう切に願っています。
(もう一つ、地方議員の数ですね。大阪府議会や市議会は維新が多数を占めており、国政選挙では彼らが総動員されます。ポスター張りなど、その差は大きいですね)
……
10年ほど前にツイッターで知り合った医師がいる。共通の知り合いがいたことから、俗に言う「ツイ友さん」となった。フェイスブックに場所を移してからも交流が続いた。その医師は大学教授で、ある日ダイレクトメッセージで「授業で話をしてほしい」と連絡があった。ツイ友さんには相談したときにパソコン越しに励ましてもらった恩がある。即答で受けさせてもらった。大学は公立長野大。自分が出向くのか、学生さんとどこかで合流するのかと思ったら、ZOOMを使ってパソコンで会議をするのだという。当日、5人の学生さんのいる大学と先生の自宅、自分をつないで中継した。便利な世の中になったものだ。
授業のタイトルは「人間と社会の理解」。大きなタイトルだが、自分が出場したアテネパラリンピックのことやユニバーサルデザイン、介助犬ニコル君の話をすればいいと言われていたので、肩ひじを張らずに臨むことができた。お互いの自己紹介が終わって、学生さんの質問に答える形式で進められた。学生さんは大まかな「佐藤京子」についてネットで調べていたようで、「なぜ円盤投げを始めたのか」「パラリンピックを目指したのはいつからか」「パラリンピックの時に両親は応援に来たのか」などの質問に答えていった。
思いがけない質問もあった。「街のバリアフリー化はされていると思っているか」。日々利用している駅にエレベーターが増設されていたり、道の路面がフラットになったり、路面店が段差解消されて入りやすくなったりと、ここ10年~15年の間にバリアフリー化が進んでいたことに改めて気づかされた。普段、見慣れた街並みも時間の経過とともに随分と良くなっていた。それは与えられてできたものではなく勝ち取ったものもあったと思う。次に介助犬ニコル君のことについて。「なぜ介助犬と暮らすことを決めたのか」。これも、自分の中では、ニコル君と暮らすのは必然だと思っていたが、学生さんから見れば斬新な選択にうつるようだ。社会参加を豊かにするためだったが、入店拒否問題もあり、なかなか理屈では説明がつかないこともある。
学生さんと先生と話しているうち、自分の中で当たり前だと思っていたことや仕方ないと諦めようとしていることは、自ら発信して理解を求めていくことで変わっていくのではないかと思わせてくれた時間だった。
(アテネパラ銀メダリスト・佐藤京子)
衆院選の投開票日だった10月31日の1日が衆院議員の「任期」と見なされたことで、新人議員に月100万円の「文書通信交通滞在費」が満額支給された問題。火付け役となった日本維新の会が「文通費にメスを入れた立役者」と、連日ワイドショーで取り上げられていたが、徐々に「身を切る改革」の化けの皮がはがれてきたようだ。大阪府の吉村知事が衆院議員時代、大阪市長に立候補するために2015年10月1日付で辞職した際、1日在職しただけで10月分の文通費を満額受け取っていたことが判明した。れいわ新選組の大石あきこ衆院議員が衆議院事務局に事実関係を確認し、自身のツイッターで指摘したのだ。今回のケースと比べて悪質なのは、吉村氏自身の判断で月初めの1日に辞職願を出し、その結果、100万円を受け取るという「確信犯」だった可能性が高いこと。しかも、何に使ったのか明らかにすることなく、寄付するのだという。それをメディアは見て見ぬふりをするか、取り上げても「知事は潔い」と持ち上げる。相も変らぬ応援団だ。さらに、文通費とは比べようもない大きな問題が隠されている。年間300億円という税金が投じられている政党交付金だ。11月18日付の日刊ゲンダイによると、維新が18年からの3年間で受け取った政党交付金の総額は約47億円。そのうち15億円あまりを「貯金」として積み立てているという。政党助成法は、政党が交付金を1年間で使いきれなかった場合、総務相が残った額の返還を命じることができると規定している。ただ、基金として積み立てた場合は返却命令の対象から外れるのだとか。確かに法律違反とは言えないが、「身を切る改革」がいかに看板倒れであるか、証明している。何ともこずるい。
10月11日(月)
脳神経外科医の山口研一郎さんから「コロナ後遺症が高次脳機能障害に似ている」と聞き、矢野、栗原は午後、高次脳機能障害の夫を37年間介護している村山眞子さんを富田林市の自宅に訪ねる。
10月12日(火)
栗原 午前、十三のシアターセブンで、ドキュメンタリー映画「屋根の上に吹く風は」の浅井さかえ監督を取材。
矢野 栗原 夜、大阪府高槻市の「やまぐちクリニック」で山口院長に高次脳機能障害について取材。
10月16日(土)
栗原 午後 大阪市港区の天保山であった中国人強制連行犠牲者慰霊祭へ。
10月17日(日)
栗原 午後 「チッソ水俣病『知ろっと』の会」主催のオンライン集会を視聴。
10月20日(水)
午後、工藤孝志さんと石田冨美枝さんが事務所で新聞うずみ火にイベントチラシをはさみ込む作業。新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解除され、チラシは13種類に。
10月22日(金)
夕方、新聞うずみ火11月号が届き、発送作業。小泉雄一さん、樋口元義さん、多田一夫さん、康乗真一さん、大村和子さん、友井健二さん、長谷川伸治さんがお手伝い。
10月23日(土)
矢野 午後、大阪市北区のエルおおさかで開かれた「とめよう!戦争への道・めざそう!アジアの平和2021関西のつどい」で元内閣官房副長官補の柳澤協二さんの講演。夜、愛知県一宮市から講演を聞きに来ていた村上安正・桂子さん夫妻と再会。
10月26日(火)
矢野 午後、来社した箕面市立第5中学校の谷口博英さんと平和学習の打ち合わせ。
10月27日(水)
午後、茶話会が再開。竹島恭子さんや堀田直樹さん、小泉さんらと再会。
10月28日(木)
新聞うずみ火がクラウドファンディングを利用して制作した大阪大空襲の体験者の証言DVD150枚が業者から納品。矢野が午後、大阪市中央区のピースおおさかを訪ね、平和学習に役立てて下さいと片山靖隆館長に手渡す=写真。
10月29日(金)
ホロコースト生存者のドキュメンタリー映画「ユダヤ人の私」の公開前に、大阪大教授の木戸衛一さんが2人の監督とオンラインでつないだ特別授業を行い、矢野が取材に。
栗原 午後、京都地裁であった琉球民族遺骨返還訴訟の報告集会に。
10月30日(土)
矢野、栗原 衆院選最後の街頭演説を大阪10区で取材。夜、大阪ミナミの高島屋前で行われた日本維新の会の街頭演説会へ。1年前の「大阪都構想」住民投票を上回る人の数に圧倒される。「維新が候補者を立てた大阪選挙区で15戦全勝の予感」は現実に…。
……
大阪忘年会は今年もボーリング大会との2部制で、ボウリングから参加される方は午後2時半に阪急神戸線「神崎川駅」改札集合。うずみ火読者の椎野昇次さんが支配人を務める「神崎川ダイドーボウル」(06・6309・8771)で開催し、午後6時~淀川区宮原5丁目の新大阪第27松屋ビル1階の韓国料理店「セント」に移動して忘年会。地下鉄御堂筋線「東三国駅」⑤出口から徒歩2分。大いに飲む方は4000円、飲めない方は3000円。参加ご希望の方は新聞うずみ火まで。
写真展のお知らせです。ミャンマー国軍によるクーデターからまもなく10カ月。在日ミャンマー人を支援している「ミャンマー関西」(猶原信男代表)と共催で、12月17日(金)~19日(日)の3日間、大阪市生野区勝山北5、まちの拠り所「Yosuga」でミャンマーの現状を伝える写真展を開催します。
17日(金)は午後2時~と6時半~の2回、18日(土)は午前11時~、午後2時~と6時~の3回、19日(日)は午前11時~と午後2時~の2回、在日ミャンマー人らによるギャラリートークを行います。問い合わせは足立さん(06・6796・9897)まで。入場無料。
新年最初の「うずみ火講座」は1月29日午後6時半~大阪市立福島区民センターで開講します。講師はフリージャーナリストの西谷文和さんで、タイトルは「アフガン最新報告~テロとの闘い20年はいったい何だったのか?」。
【日時】2022年1月29日(土)午後6時半~
【会場】大阪市福島区吉野3丁目の福島区民センター(最寄り駅は「野田阪神」駅から徒歩6分ほど
【資料代】読者1000円、一般1200円、学生・障害者700円
新型コロナウイルス感染拡大で施設が使用できなくなる場合もありますので、うずみ火事務所までお問い合わせ下さい。