編集長ブログ

【編集長の決意】創刊20周年を迎えて

新聞うずみ火創刊20周年を迎え、11月1日にPLP会館で開かれた読者との祝う集い。執筆陣も駆けつけてくれ、心温まる励ましの言葉をいただきました。ありがとうございました。発刊は2005年秋、小泉政権による「郵政選挙」で自民党が300近い議席を取り、憲法が改悪されるとの危機感から。おかげさまで、今では北は北海道から南は西表島まで2000人を超える読者がこの小さな新聞を待ってくれています

創刊20年を迎えた節目の年に誕生した高市政権。維新との連立もあり、最悪の政権となりそうです。早速、「台湾有事」について存立危機事態になりうると発言。日中関係は急速に冷え込みました。高市首相に撤回する気はないようで、改善の兆しはまったく見えません

「高市発言は中国に対する宣戦布告と同じだ」との批判も飛び出しましたが、中国側の不信感や怒りはそれだけではないようです。南西諸島をはじめ、九州や西日本では台湾有事を想定した戦争準備が着々と進められています。大軍拡に私たちの税金が使われ、私たちの命が脅かされるなんて、こんなバカな話はありません

祝園で、南西諸島で、そして大分で、政府が進める軍事要塞化に抗う人たちと出会い、勇気をもらいました。一人ひとりの力は小さいけれど、それぞれの胸にともる「埋火」がさらに燎原の火となると信じ、これからも一号一号積み重ねていきます。さあ、21年目に突入です。  

 

【副編集長の怒り】長生炭鉱の遺骨収容 無視する日本政府

「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」が1021日に実施した厚労省、外務省、警察庁との政府交渉。リアルで傍聴したかったが、翌日が今月号の入稿日。残念ながら断念した。終了後の報告会見をオンラインで視聴して驚いた。遺骨が収容されて2カ月近いのに、DNA鑑定は手つかず。遺骨は山口県警科捜研の冷蔵庫の中だという。「あのご遺骨に申し訳ない。83年待って、やっと日の目を見たのに。ご遺骨の立場に立つという、熱意のかけらもない」。井上洋子共同代表が声を詰まらせていたDNA鑑定だけでなく、ほとんど何も動いていない現状。政府交渉に同席した国会議員の一人は、民主党政権時の官僚たちのサボタージュを重ね、振り返っていた。まさにこの日、そのほんの数百㍍先で高市政権が発足した。首相交代で、進展どころか「塩漬け」「後退」なのか。それでも刻む会の上田慶司事務局長は「高市政権がどんな態度でこようが、前進していく」と言い切った。パソコンの前で思わず拍手した。めげずに前進あるのみ。自分もかくありたい▼刻む会はこの日、保有する29人分のDNA型のデータを警察庁に提供した。1219日までに進展がなければ、民間団体などに依頼して独自に鑑定を行うという。11月には犠牲者が5人いる沖縄で会見、遺族探しのキャンペーンも開始する。来年2月には世界屈指のダイバーたちを招く遺骨収容プロジェクトが始まる。同時期に実施する追悼集会には韓国政府関係者が来日する。「現地に来て悲しみを共有してほしい」という井上共同代表の訴えを、日本政府はいつまで無視し続けるのか。なお、この追悼集会には、文在寅(ムン・ジェイン)元大統領の参列もささやかれている。         (栗)

 

【編集長の誓い】創刊20周年を迎えて

おかげさまで、新聞うずみ火が創刊20周年を迎えました。2005年10月、当時の小泉純一郎首相による「郵政選挙」で自民党が300近い議席を取り、憲法が改悪されるのではないかと危機感を抱いた仲間たちと「誰もが暮らしやすいと感じるような社会にするために何かできないか」と語らったのが発端。あれから20年、残念ながらこの社会はどんどん悪い方向へ転がり落ちているとりわけこの10年、時の政権によって「国のかたち」が大きく変えられた。2015年に安倍政権が成立させた「安全保障関連法」は「集団的自衛権の行使」を容認し「戦争ができる国」に。22年には岸田政権が専守防衛を逸脱しかねない「敵基地攻撃能力の保有」を認め、「戦争をする国」になった。GDP1%以下に抑制されていた防衛費も、23年度から5年間に43兆円に引き上げられている。事実上、GDPの2%となり、世界第3位の軍事大国に。また、「防衛装備移転三原則」で、殺傷能力のある武器の輸出が可能になった。憲法9条がどんどん骨抜きされているのが実情だ「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない」。かつてノモンハン事件に出征経験がある田中角栄元首相はこう語っていた。戦後80年、国家や民族の優越性をことさらに言い立てる政治家が増え、ますます危ない時代になった右傾化の流れを前にして無力感にさいなまれることもある。だが、そんな時、恩師である黒田清さんの言葉を思い浮かべる。「戦争の対極にあるもの、それは人権社会。この社会を人権社会に近づけることが戦争を遠ざける道だ」。あきらめることなく、21年目へ。 

 

【副編集長ブログ】黒田さんが訴えたマル社会

参院選投開票日前夜、事務所すぐ近くで参政党の「打ち上げ」街宣があった。おぞましいフレーズに合いの手の拍手が沸き起こる。恐怖を覚えた。

気を取り直し、この日、久しぶりに開いたのが「みんなのために 自分のために」(解放出版社)。黒田清さんが手がけた「窓友新聞」で1990年1月号から始まった長期連載「90年代社会」の一部を書籍化したもので、「窓友新聞」に転職する前の私は、一読者として毎月、紙面でこの連載を読むのを楽しみにしていた。

◯社会=マル社会とは何なのか。前書きで黒田さんはこう記している。

〈戦争中までのタテ社会に代わって、日本社会の基盤となったはずの民主的ヨコ社会も、一人一人の個人、一つ一つの団体が、お互いに垣根を作り孤立している間は隙間だらけの社会であり、その隙間に差別が入りくんでくるということです。

では、どうすればいいのか。タテは駄目、ヨコでもアカンというのなら、1990年代の生きかたは「マル社会」でなければならないのではないか。 「マル社会」は、生き方も考え方も同じ人たちが手をつないで丸くなって生きることではありません。それぞれが自分の生き方、考え方を大事にしながら、違った生き方、考え方の人たちが手をつないで生きる社会です。それが自分のため、そして同時にみんなのためになるのです〉  

黒田さん、「窓友新聞」が活動の柱とした反戦反差別。後継を自認する「新聞うずみ火」もそれを標ぼうしてきた。でも、マル社会はさらに遠ざかってしまった。敗戦80年の節目だというのに。

それでも、地道にやり続けます。読者と共に。まもなく創刊20年。

【編集長の怒り】子どもたちを「穴埋め」に使うな

開幕1週間後に取材して以来、2度目の大阪・関西万博だった。2カ月後の6月12日夕方。その日は昼までの小雨も上がり、曇り空が広がっていた。最高気温は30度以下だったが、それでも熱中症と思われる人が相次いで救急搬送されていった三つある診療所の拠点である西ゲート診療所の看護師がいくつかの留意事項を伝えてくれた。「寝不足の子どもは要注意」「吐いた場合の着替えを持参してほしい」「親が自家用車で迎えに来ても会場内まで入れません」「先生がタクシーで市内まで連れ帰ると1万円近くかかります」……。やはり、夢洲で万博をやるべきではなかったのだ▼大阪は梅雨を通り越して夏本番のような猛暑が続く。テントやパラソルの設置、日傘の提供など、小手先の熱中症対策では「焼け石に水」。暑い日には行かないことが一番なのだが、大阪府は、学校単位での校外学習が見送られた子どもたちを無料で引率するツアーを開催する。家庭での来場が難しい子どもたち約1万人を上限に募集し、夏休み中に開催する予定だという。そのための補正予算約1億5000万円も府議会で可決された。吉村洋文知事は記者団にこう言ったという。「子どもたちが万博来場を諦めて閉幕を迎えることなく、未来社会を体験してもらう取り組みが大きく前進した」(6月17日産経新聞)。夏場の来場者が減ることが予想されるので、来場者目標2820万人を達成するために子どもたちを穴埋めに使うことではないのか万博テーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だが、パビリオン建設の作業員の命を削り、子どもたちの命まで……。会場の隣ではIRカジノの工事が急ピッチで進んでいた。

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