大阪市中央区にある平和資料館「ピースおおさか」で125日、開戦80年 平和記念事業「落語と平和」が開かれた。

落語を通じて戦争について考えてもらおうと5年前から始まったが、昨年は新型コロナウイルス感染拡大防止に伴い中止。2年ぶりの開催となった今回は4人の落語家が出演した。

このうち、三代目桂花団治さん(59)は、76年前の大阪大空襲で亡くなった先代をしのぶ創作落語「防空壕」を披露した。

先代の二代目花団治、近藤春敏さんは1897(明治30)年107日広島県福山市生まれ。19歳で初代花団時に弟子入りし、花次を名乗る。昭和に入ると、エンタツ・アチャコに代表される漫才人気の高まりとともに、落語は隅に追いやられていく。初代は高座を下り、絵を描いて生計を立てるようになる。花次は桂金之助とコンビを組まされ、漫才や喜劇役者として舞台に立つようになった。

このままでは上方落語がなくなってしまうと危機感を抱いた五代目笑福亭松鶴が37(昭和12)年に吉本興業を飛び出し、「落語荘」を発足。落語への愛着を捨てきれなかった初代花団治と花次も加入した。やがて太平洋戦争が勃発。42(昭和17)年に初代が他界し、2年後に花次が二代目を襲名するも翌年の615日の第4次大阪大空襲で命を落とす。享年48

二代目花団治

「大阪市東区(現中央区)南農人町に自宅があり、ご遺族(弟の孫)によると、防空壕の入り口あたりで亡くなったそうです。それ以上の詳しい状況もどこに埋葬されたのかもわかっていません」

三代目花団治さんは、先代の無念さと空襲の悲惨さを次の世代に伝えたいと思うようになり、ピースおおさかに足を運ぶなどして、「防空壕」という落語を制作した。

噺は、落語好きの男性が防空壕の中で空襲に遭った夢を見て、うなされるところから始まる。その日はちょうど、615日。近くの酒屋さんに防空壕が残っていることを知り、男性は線香を手向けるために訪れる。酒屋の主人の話では、空襲で亡くなった落語家の幽霊が出るらしい。しかも、落語が聞こえてきて、噺の落ちを聞くと笑い死にしてしまうという。

それなら、落ちを聞く前に飛び出ればいいと、男性は防空壕で落語を聞き始めるのだが、その噺というのが……。

一門の四代目桂春団治さん㊨と対談も

「若い人にも戦争について考えるきっかけにしてもらいたいと、あえて笑える場面を多く取り入れた」と花団治さんはこうも言い添えた。「落語を通じて戦争の悲惨さを伝えることが僕の役目やと思うてます」

会場にはおよそ140人が集まり、笑いの渦に包まれていた。まさに、「落語の笑いは平和だからこその笑い」だった。

この日、近藤春敏さんの名前がピースおおさかに保管されている大阪空襲の死没者名簿に登録された。(矢野)