1泊2日の駆け足取材ながら能登半島地震の被災地に入った。そこで耳にしたのは、初動の遅れを指摘する声だった。なかには「私たちは棄民扱いだ」と口にする被災者もいた。首相官邸のホームページで確認すると、首相をトップとする非常災害対策本部を設置したのは1日午後1040分。地震発生から6時間半後。死者273人を出した熊本地震では、発生から44分後に立ち上げている。しかも最初の会議が開かれたのは翌2日午前9時23分。発足して11時間近い空白がある

72時間の壁」と言われる4日、岸田首相は年頭記者会見を「地震関連の公務」を理由に43分で打ち切った。指名されなかった記者が「地震大国の日本で原発の再稼働は無理だと今回わかったのではありませんか」と叫んだが、首相は振り返ることなく退席。防災服から背広に着替え、午後8時からBSフジテレビの報道番組に生出演。翌5日は都内のホテルで3件の新年会に出席した。現地を見て、被災者の声を聞くことで血の通った対策が生まれると思うのだが、岸田首相が初めて被災地に入ったのは14日のこと

自衛隊派遣も小出しだった。発生から3日目に2000人。熊本地震では1万4000人。「能登半島北部への道路が寸断されている」ことを理由に初動の遅れを擁護する声もあるが、空や海もあるではないか。それとも、自衛隊は災害救助ではなく、「戦争する軍隊」に衣替えしているのだろうか。

岸田首相が今まさに決断すべきことは大阪・関西万博の中止。能登半島地震の復興支援に全力をあげることだ。「棄民政治」をもうこれ以上許してはいけない。