新型肺炎の感染拡大をめぐり、自民党が掲げる憲法改正案の一つ「緊急事態条項」の新設を求める声が党内から上がっている。この機会に改憲議論を加速させたいという考えだろうが、人々の不安に乗じて憲法改正を持ち出すのは不謹慎ではないか。

 

緊急事態条項とは、大災害や武力攻撃を受けるなどの「緊急事態」になった場合、内閣に強大な権力を与えるもの。

もっとわかりやすく言えば、ポイントは2つ。

一つは、国民の権利を守るための制度ではなく、国家を守るための制度であること。

二つ目は、政府に権力を集中させて、国民の人権を制限すること。

 

思い出されるのが、2013年8月に麻生副総理がポロっとこぼした発言。

「憲法も、ある日気がついたら、ドイツのようにワイマール憲法がナチス憲法に変わっていたのですよ。誰も気がつかないで変わったんだ。あの手口を学んだらどうかね」

ナチス憲法というのは存在しない。ただ、当時、世界で最も民主的な憲法と言われたワイマール憲法がありながら、なぜ、ナチスの独裁政権が生まれたのか。

実は、ワイマール憲法の中に「緊急事態条項」があった。

「公共の安全・秩序に重大な障害が生じる恐れがあるときに基本的人権を停止できる権利を大統領に与える」

ヒトラーはそれを2回使って、独裁政権を手にする。

 

1933(昭和8)年、ナチスは選挙で第一党となり、ヒトラー内閣が誕生する。とはいえ、過半数に届かず、不安定な政権運営を強いられたため、国会を解散する。

選挙運動のさなか、ヒトラーは1回目の緊急事態条項を使い、反政府を訴える政党の集会やデモ、出版をことごとく禁止した。

さらに2月27日、国会議事堂が放火される。ヒトラーは「共産党のテロだ」として、2回目の緊急事態条項を使う。ナチス以外の国会議員や支持者が次々に逮捕状もなく、拘束されていった。憲法で保障された基本的人権がすべて奪われた瞬間だった。

 

その結果、選挙で過半数を制したナチスが強行採決して成立させたのが「全権委任法」だ。

第1条 立法権を国会に代わって政府に与える

第2条 政府立法が憲法に優越し得る 

つまり、ヒトラー政権は好き勝手な法律を次々に作り、それは憲法よりも優先させた。

こうして、世界一民主的な憲法の元で、合法的に独裁確立したのである。

 

戦前、日本にも緊急事態条項があった。その一つが緊急勅令。天皇が法律に代わる命令を出すことが認められていた。

その結果、治安維持法にも死刑が認められ、政府に反対の声を上げる人たちは次々と告訴腐れ、牢獄へ入れられた。「蟹工船」の小林多喜二も治安維持法で逮捕され、獄中で殺された。

 

現行憲法に緊急事態条項がないのは、吉田茂内閣の憲法担当大臣だった金森徳次郎氏が止めたから。金森氏のこんな言葉が残っている。

「民主主義を徹底させて国民の権利を守るためには、非常事態による政府の一連の行動は絶対に防がねばならない」

 

もともと憲法は国家権力が暴走しないように縛るもの。緊急事態条項はそれを解き放ち、憲法で保障された基本的人権を制限する危険な条項になりかねないことを忘れてはいけない。(矢野)