「第二の人生は田舎で、時間に追われずにのんびりした生活がしたい」。退職後、夫婦で移り住んだ福島県の里山で田畑を耕し、自給自足生活を送っていた浅田さん夫妻。「天国のような生活」は原発事故によって奪い去られた。▼500㌔離れた金沢市で後ろ髪を引かれながらの避難生活は13年になる。避難指示は解除されたが、帰るたびに計測すると放射線量は依然として高く、「帰りたいが、帰れない」▼能登半島地震でトラブルが多発した志賀原発。被災地で「稼働してなくてよかった」との声をよく聞いた。北陸電力は「安全上の問題はない」というが、1999年に起こした臨界事故を8年間隠ぺいした過去がある▼北陸新幹線の延伸開業でにぎわう日に開かれた反原発集会。浅田さんの言葉が忘れられない。「自分の生業が一瞬でなくなることを想像してほしい」