6月23日は沖縄慰霊の日。74年前のこの日、太平洋戦争末期の沖縄戦で組織的な戦闘が終わった日だ。
1945年3月26日に始まった地上戦で、戦没者は20万人を超えた。うち9万4000人が一般の県民で、4人に1人が犠牲になっている。沖縄ではこの日、学校も役所も休日で、一日中、鎮魂と平和の祈りに包まれる。
最後の激戦地である沖縄本島の南端、糸満市摩文仁にある平和祈念公園では毎年、「沖縄全戦没者追悼式」が行われており、ことしも「新聞うずみ火」の読者有志と一緒に参列した。
昨年は、がんで闘病中だった翁長雄志知事が帽子をかぶって参列した。翁長さんは、抗がん剤の副作用で髪の毛がなくなった頭部をカバーするため帽子を着用していた。翁長さんが公の席で帽子を脱いだのは「平和宣言」を読み上げた時だった。
シンガポールでの米朝首脳会談について触れ、「東アジアをめぐる安全保障環境は、大きく変化している。民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行している」と声を振り絞って訴える姿が今もまぶたに焼き付いている。
翁長さんの志を受けついだ玉城デニー知事がどんな平和宣言をするか、注目が集まった。この日は、追悼式では30年ぶりという雨だったが、主催者発表で5100人が参列した。
玉城知事は、2月に行われた県民投票に触れ、「政府には、沖縄県民の民意に寄り添い、辺野古が唯一という固定観念にとらわれず、対話による解決を強く要望します」と訴え、会場から盛大な拍手を受けた。
さらに、独自色も発揮した。自らの決意を沖縄のことをより多くの人に伝えたいと、ウチナーグチ(沖縄の言葉)と英語も交えて語ったのだ。
一方、来賓としてあいさつした安倍首相は、例年に増して早口で読み上げる感じがした。辺野古問題にも県民投票にも触れず、通り一遍の内容に終始。参列者から昨年を上回るほどの批判の声が上がった。「帰れ」「人間として恥を知れ」―—。安倍首相が「私が先頭に立って沖縄の振興を前に進める」と述べると、会場からは「やめてくれ」というヤジも上がり、周囲は笑いに包まれる一幕も。
慰霊の場だからヤジを飛ばすのは不謹慎だという批判もあるだろう。だが、知事選や県民投票で沖縄の人たちは「辺野古への新基地建設はNO」という民意は示している。にもかかわらず、「辺野古への新基地建設が普天間基地返還の唯一の道だ」と強引に工事を進める政府の姿勢に対する住民の怒りは、もはや押さえきれないほど大きなものになっている。
※写真は、白梅之搭慰霊祭で犠牲者に手を合わす参列者