「高市一強政治」の暴走が始まった。党利党略で解散・総選挙を行い、予算の年度内成立を危うくしておきながら122兆円もの予算案を数の力で押し切った。防衛費は当初予算で9兆円を超え、さらなる軍拡を見据えた「安保3文書」の前倒し改定、武器輸出の解禁、非核三原則の見直しなど、この国を「戦争する国」に変えようとする危険な姿が鮮明になってきた。右旋回する安全保障政策について、防衛ジャーナリストの半田滋さんに聞いた。
4月12日に開かれた自民党大会で、陸上自衛隊中央音楽隊員が制服姿で国歌斉唱したことが物議を醸している。選挙権の行使以外の政治行為を禁じた自衛隊法に違反する疑いがあるからだ。
半田さんは「大会で高市総裁は『来年の党大会までに憲法改正の発議ができるめどをつけたい』と述べている。自衛隊を憲法に明記する意図があるのだから、制服姿の自衛官を壇上に立たせることに意義を見出したはずだ」と語り、こう断言する。「政治利用以外の何ものでもない」
高市政権発足後、安全保障政策が急速に右旋回している。
インテリジェンス(情報収集・分析)機能を強化する「国家情報局」設置法案が衆院本会議で審議入りしたのに続き、自民党は4月14日、防衛装備品の輸出規制である「5類型」(救難、輸送、警戒、監視、掃海)を撤廃する政府案を了承。政府は21日の閣議と国家安全保障会議(NSC)で防衛装備移転三原則と運用指針を改定した。
これにより、殺傷能力のある武器の輸出を、日本と防衛装備品の移転に関する協定を結ぶ国々に認める。
紛争当事国には原則輸出できないが、安全保障上の必要性を考慮して「特段の事情」がある場合は例外的に認める。
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大阪市を廃止して特別区を設置するいわゆる「大阪都構想」の3度目の住民投票を巡り、大阪維新の会の大阪市議団が市民を対象とする対話集会「タウンミーティング」をスタートさせた。吉村洋文・大阪府知事(日本維新の会代表)と横山英幸・大阪市長(同副代表)は来年4月の統一地方選に合わせた住民投票に言及しており、国政で「副首都法案」の成立を目指す中、「副首都にふさわしい都市」となるために「都構想の設計図づくりをさせてほしい」と主張する。一方で市議団は「2023年の統一地方選で都構想を公約に掲げていない」と慎重姿勢で、対話集会を開いた上で方針を決める。しかし、対話集会は「都構想の説明でも副首都法案の説明でもない」という位置付けで、参加者からは何のための集会かとの声も上がる。さらに、「副首都法案が成立すれば、住民投票の対象を市内のみから府内全域に拡大可能」との吉村氏の見解が混乱に拍車をかける。2度の住民投票で市民が出した結果があまりにも軽視されているのではないか。
4月5日、大阪市城東区の城東区民センターで維新市議団による対話集会が始まった。第1回の対話集会とあって市民350人(市議団発表)が集まり、マスコミ各社も駆け付けた。市議団は対話集会の結果によって、都構想の「設計図づくり」の議論の場である「法定協議会」の設置議案について、5月の市議会で賛成すべきかどうかを決める方針だ。賛成すれば、市議団が23年の統一地方選で公約に掲げていなかった都構想を推進することになるため、市民の意見を直接聞く場を設けたというわけだ。
しかし、地元選出の本田リエ市議は対話集会で「都構想の説明でも副首都法案の説明でもない。2月に開催された市長と知事の出直し選挙に関連した大阪の今後について意見や質問をお聞きしたい」と述べたため、参加者からは「一体何なのか。納得できない」との声が上がった。
市議団には都構想反対派と分かっている市民に対しても意見を求める姿勢はあったが、都構想案も副首都法案もない中で、聞きたいことが最初から封じられた参加者に不満や疑問は残った。「賛成の方は声を上げにくい、こわい」と述べた参加者から「意思決定のプロセスを説明すべきではないか」という意見が出るなど、対話集会の意見をどう集約するのかも課題だ。市議団は「アンケートやSNSも活用する」と言うが、意見集約の透明性が確保できなければ、「アリバイづくりか」と指摘した参加者の野次を否定できないだろう。
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戦時中、群馬県太田市で、空襲などの犠牲になった朝鮮人労働者11人の慰霊式が4月18日、同市の金龍寺で営まれた。市民有志が企画。県内外から約40人が参列し慰霊碑に線香を手向けた。
太田市は軍用機を製造した「中島飛行機」(戦後、富士重工、現SUBARU)の本拠地。軍需産業の一大拠点となり、米軍の爆撃目標とされ、7回の空襲に見舞われた。
特に被害が甚大だったのが1945年2月10日の「太田空襲」。死者163人。朝鮮人労働者たちも犠牲になった。「中島飛行機地下工場跡を保存する会」(トンネルの会)代表の石塚久則さんによると、太田製作所には44年12月、朝鮮半島北部の咸鏡道 (ハムギョンド)から1200人が徴用されたという。
慰霊碑は73年、朝鮮総連と韓国民団が太田市や富士重工などの協力を得て建立した。「第二次世界大戦時徴用 朝鮮人犠牲者慰霊之碑」。碑文には、11人の犠牲者のうち方甲世さん、裵今順さんの名が刻まれた。空襲直後、名札でどうにか確認できた2人。残る9人の身元は不明のままだ。
慰霊碑建立から53年、戦後81年にして新たに行われた慰霊式。主催した「金龍寺慰霊式を開催する会」は、県立公園「群馬の森」(高崎市)の朝鮮人追悼碑撤去に抗った市民有志の集まりだ。
法要で、共同代表の朴順梨(ぱくすに)さんは「慰霊碑がなぜできたのか。戦時中に何があったのか。碑を作った人たちの思いも含め、次の世代に受け継いでいきたい」とあいさつ。金龍寺の青木龍峰住職は「昭和の時代までは関係者が毎年供養をしていたが、その方々もだんだん少なくなった。平和と人権を受け継いでいくために、過去の負の歴史をしっかり勉強していただく一日にしてほしい」と述べた。
太田空襲6日後には艦載機が襲来。太田製作所はほぼ壊滅した。相前後する45年1月、丘陵での地下工場建設がスタート、突貫工事が進められた。
法要後はフィールドワークが行われた。石塚さんの案内で地下工場跡へ。丘陵を切り開いた公園墓地の一角にはトンネルの痕跡があった。この現場で2600人の朝鮮人労働者が重労働を強いられた。周辺の飯場で朝鮮人女性240人も働いた。未完で敗戦となったが、地下工場で特攻機を製造する計画だったという。
戦争遂行のため、いかに大勢の朝鮮人が太田に駆り出されたのか。資料は残っていない。45年4月末には中国人280人が強制連行されてきた。半年で50人が死亡するほどの酷使。続いて訪ねた長岡寺には日中友好協会県連が建てた慰霊碑があった。「日中不再戦」の文字が刻まれていた。
第2次世界大戦時、朝鮮半島から動員された96歳の鄭信栄(チョンシニョン)さんと元徴用工遺族らが来日、4月9日、謝罪を求め東京の三菱重工、日本製鉄の本社を訪ねた。しかし、いずれも門前払いされた。日韓の間で懸案となってきた徴用工問題。日本国内では「終わった問題」とされがちだが、韓国では日本企業に賠償を命じる判決が相次ぎ、国際労働機関(ILO)も2月、日本政府に対し14回目の勧告を出したばかりだ。
「社長さんが直接謝ってくれるまで、私は死ねません」
車いすの鄭さんは三菱重工本社前で声を震わせた。
14歳だった1944年、「日本に行けば、よく食べられる。学校にも通わせてくれる」という三菱重工の社員らの言葉を信じ、「みんなと一緒に志願した」。軍用機をつくる三菱重工名古屋航空機製作所に動員。工場に押し込められ、飛行機にペンキを塗らされた。軍隊のような生活で自由はなく、いつも空腹で、給料ももらえなかった。学校には通わせてもらえなかった。
同年12月7日、東南海地震が東海地方を襲った。工場がも崩れ落ち、6人の仲間が犠牲となった。その後も米軍の空襲に何度もさらされた。
戦後、日本での生活を隠し続けた。女子勤労挺身隊が「慰安婦」と誤解されるのを恐れ、家族にも過去を秘した。しかし、2012年、82歳で沈黙を破り、三菱を提訴した。 「お金ではない。地震で無念の死を遂げた仲間たちに合わせる顔がない。罪人のように一生、息を詰めて生きなければならなかった歳月があまりに悔しい」
22年、日本政府から厚生年金保険脱退手当99円が振り込まれた。「あまりに侮辱している」と鄭さんは憤った。
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2026年の首里城再建とともに地下の第32軍司令部壕の一部の公開が決まっている。閉ざされてきた司令部壕の公開は、沖縄戦の継承や平和学習に大きなインパクトを与えると予想される。今回の沖縄戦跡フィールドワークは、那覇軍港移設予定地の浦添市、第32軍の南部撤退直前の首里戦線を伝える場所を歩く。
●浦添市西海岸/
那覇軍港移設予定地
1945年5月、浦添市に米軍が侵攻し浦添グスク(前田高地、ハクソーリッジ)で激戦を繰り広げた。前田は浦添市の中央部。戦前に日本軍南飛行場として接収されたことなど西側の沖縄戦状況はあまり知られていない。同地域には城間、屋富祖、宮城、仲西、小湾、城間などがあった。 日本軍飛行場は放棄され使われず、米軍が沖縄戦中から牧港飛行場として使用。物資集積地となり、現在の米軍牧港補給地区(約270㌶)になった。実に市域の14%を占める。小湾など元々あった集落は、戦後に収容地区から戻っても米軍基地によってはじかれて、その周辺や他集落に土地を求めて集落を再建せざるを得なかった。海沿いだった集落は、牧港補給地区をはさんで国道58号の向こうへほとんどが移転し、住宅密集地域を形成している。
広大な牧港補給地区を抱えた結果、浦添村は大きな変貌を遂げた。1957年の就労者4500人中、軍雇用は1173人にのぼった。職を求めて沖縄島北部や奄美、離島から人口が流入、浦添市の多くの家庭が貸間を営んだ。米軍相手の商売も隆盛を極め、軍道1号沿いは宜野湾まで「外人商社」が立ち並ぶ「マチナト・コマーシャル・エリア」が形成された。米軍が道路を拡張した屋富祖大通りは賑やかな商店街へと変わり、裏通りには歓楽街が広がった。
牧港補給地区の海岸沿いには、2018年に臨界道路完成。19年には大型商業施設も建設され賑わいを見せる。海岸に近づくことが制限されていた浦添市民には、2・5㌔続く臨海道路は憩いの場だ。
イノーに熱帯魚、時にウミガメも確認できる海は、地元民が里海として大切に守ってきた。しかし那覇軍港の移転先として約49㌶が埋め立てられる予定で、若い世代を中心に署名運動が進められ、危機感が広がる。22年に国と県、那覇市、浦添市が移転などに合意しており、辺野古同様の新しい基地建設にもかかわらず、県内では大きなうねりになっていない。
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4月16日正午過ぎ、南丹市役所前で買った弁当をマイカー内でかきこみ、安達結希君(11)の遺棄現場へ向かおうとすると上空にヘリの爆音。「もしや」と南丹署に戻るとカメラの放列。京都地検への送検だった。敷地からワゴン車が出てきたがカーテンに覆われ、安達優季容疑者(37)を写せなかった。
3月23日に行方不明になった事件は急展開を見せた。4月12日、安達結希君(11)が通う市立園部小学校から約6㌔の山中で履いていた靴が見つかり、翌日、学校から2㌔ほど南の林で遺体が見つかった。無造作に仰向けに置かれていた。損傷が激しく司法解剖では死因も死亡推定時間もわからなかった。同容疑者は死体遺棄は自分一人の犯行と供述し、首を絞めて殺したことをほのめかしているという。今後、府警科捜研の法医学鑑定などに付される。
前後するが、3月29日に学校から3㌔西の道端で通学リュックが見つかった。地元の消防団が懸命に探しても見つからず、親戚が見つけたというが、雨が降っていたのに濡れてもいない不自然さ。捜査のかく乱工作と思われた。
安達容疑者は3月23日の午前8時頃に車で学校敷地内まで送ったことになっていたが、誰も結希君を目撃しておらず、防犯カメラにも車しか映っていない。午前11時に両親で迎えに来たが、登校しておらず、正午頃に同容疑者自ら警察に届けている。この日は卒業式で、担任は家族への「来ていない」との連絡を失念していた。
その後、安達容疑者は息子の写真の入ったチラシを作って近所の店などに配った。受け取ったある飲食店主は「後でニュースを見て父親とわかったけど落ち着いていた」と話している。「ニュースで見たと思いますが、貼っておいてください」とだけ言っていたと言う人も。
雨の4月15日に筆者が訪れた自宅は「るり渓」と呼ばれる景勝地の近くで、ひと際大きく目立つお屋敷だった。朝、警察車両で亀岡署に連れて行かれた。名目は自宅の捜索だが、実際は鑑識だった。
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自民党大会に陸上自衛隊員が制服姿で参加、「君が代」を歌った。小泉防衛相は「国歌斉唱は政治的行為ではなく、制服姿も自衛隊員は常に着用するよう定められているから問題ない」と述べたが、問題は自民党大会という政治そのものの場に出たことである。仮に他の国家公務員や地方公務員が野党の党大会に制服姿で出席して歌ったら政治活動だとして処分すべきだと言うに違いない。多数を取ると理屈にならない理屈で押し切り、それが前例となって既成事実化する。圧倒的多数を握ると政治は必ずおかしくなる。
高市首相の支持率が高いからメディアも追及がいいかげんになるが、高市首相が何かと目立つことをするのは党内基盤、政権基盤が弱いのを高い支持率でカバーしようとするからで、通常国会冒頭解散、最短総選挙をして作戦は成功、史上最高の3分の2以上の議席を獲得したが、それで何でもできると思ったら大間違いだ。
当初予算を年度内に成立させようと衆院では多数を背景に委員長職権で押し切ったが、少数与党の参院ではできず、人気を高めたいということで3月18日から20日まで訪米して首脳会談を行ったことから、さらに時間がなくなった。補正予算を組まざるをえなくなり、当初予算成立は4月7日、ここまで遅れたのは十数年ぶり。
圧倒的多数を獲得したからといって何でもやれるものでないことを肝に銘じるべきだろう。
高市首相は日米首脳会談を最大限利用しようと、またしてもトランプ大統領にべったりすり寄ったものの、成果はほとんどなかった。世界とアメリカの経済を混乱させているだけの関税政策、石油価格を高くさせて世界の人々にとんでもない負担をさせているイラン攻撃をただちに止めろと言うべきであった。
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イスラエルはなぜ戦争を続けるのか? その理由は複雑に絡み合っているが、まず第一に「ネタニヤフ政権が史上最悪の極右政権である」ことが挙げられる。イスラエルの総選挙は全国120の議席を比例代表制で争うのだが、戦争賛成の右翼と、停戦ないしは恒久平和をめざす中道&左翼に二分されているため、必ず選挙結果は拮抗して連立を組むことになる。
今は右翼のリクードが第1党で、連立入りしているのがレイシストのベングビールとスモトリッチ。たとえネタニヤフが停戦を志向したとしても、この2人が反対し戦争継続を強要する。そもそもこんなネオナチが2人も政権入りしていること自体が大問題だ。
次にネタニヤフ自身の問題が挙げられる。彼は三つの罪で起訴されていて、戦争をやめれば裁判が進行して、自分が捕まるので戦争を継続する。ガザの次はヒズボラ、現在はイラン。「大統領がトランプのうちに」イランを叩けるだけ叩いておこうと考えている。
上記2点が表面的な理由だが、その底流に「ユダヤ人ファースト」がある。
エルサレムやテルアビブでは、「いいアラブ人は死んでるアラブ人」「エジプト人はラクダには乗れるけど戦闘機は無理」「隣に住んでいるのがスイス人なら共存できるけど、アラブ人では無理」など半分冗談、半分本気の話がまかり通っている。
なぜこんなレイシズムがはびこってしまったのか?
理由の一つが徴兵制。ユダヤ人であれば男性は18歳から3年、女性は2年、必ず軍隊に行く。私の知る限り、女性が徴兵されるのは、このイスラエルとクルドだけだ。入隊すれば「イスラエルはいかに偉大か」「アラブ人は劣った民族で過去どんなテロを起こしてきたのか」が教え込まれる。そして若い兵士は実際にガザの殺戮に手を染めてしまい、1000名近い兵士がすでに殺されている。彼らの中には「ダニエルの仇をとる」「メイルの死を無駄にしない」という意識が芽生えている。「ハマスを許さない」「ハマスをかくまうガザの人々も同罪だ」となり、ジェノサイドを正当化している。「アラブ人は動物と一緒、殺しても構わない」と思い込まなければ、銃撃時にためらいが生じて、逆に殺される危険度が増す。先の戦争では、米軍は日本人をジャップ、イラク戦争ではイラク人をハッジと蔑称で呼んでいた。蔑称で軽蔑しないと殺せなかったのだろう。
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アメリカのトランプ大統領の暴走・迷走が止まらない。1月にベネズエラの首都カラカスで軍事行動を展開し、マドゥロ大統領を拘束してアメリカに送致したと思ったら、2月末にはイスラエルと共にイランを軍事攻撃し、最高指導者のハメネイ氏を殺害した。たとえどんな理由があろうとも、強大な軍事力で主権国家を一方的に攻撃し、その代表者を拘束、殺害することが許されるはずがない。
トランプ大統領は、言動も常軌を逸している。イランを「我々は彼らが本来あるべきところ、すなわち『石器時代』へと引き戻すつもりだ」(ホルムズ海峡を開放しなければ)「一つの文明が丸ごと滅び、二度と決して回復しない」と脅しただけではなく、反体制派を多数殺害したとされるイランの指導者たちについて「彼らは動物だ」として殺害を正当化するなど、もはや国際社会のルールも、人権をはじめとした守るべき権利をも捨て去った暴言を吐きまくっている。
トランプ大統領の暴挙によって、私たちは様々な事実を目の当たりにすることになった。まず、武力(軍事力)では平和は守れないし、ましてや創造することなどできないという事実である。
イラン戦争に限らず、ウクライナ侵攻しかり、ガザ侵攻しかり、この80年余りの世界を見れば歴然としていることではあるが、今回のトランプ大統領の暴挙はそれを鮮明に見せつけた。「戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる」という日本国憲法の起草に関わった幣原喜重郎の言葉こそ、真実だと教えてくれる。
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「うずみ火講座」は4月11日、治安法制に詳しい永嶋靖久弁護士を講師に招き、大阪市此花区のクレオ大阪西で開講した。演題は「インテリジェンス・スパイ防止法体制とは何か」。「国家情報局」設置法案が衆院で審議入りしたのを受け、永嶋さんは高市政権が進めるインテリジェンス(情報収集・分析)機能の強化の危険性について語った。
国家情報局設置法案の主な柱は三つ。①首相をトップとして外相や防衛相らをメンバーとする国家情報会議を新設する②同会議の事務局として国家情報局を設置し、トップには国家安全保障局長と同格の国家情報局長を置く③国家情報局が「内閣の重要政策に関する情報の収集」などを担い、外務省、防衛省、警察庁、公安調査庁が収集する情報を集約し、官邸に提供することだという。
国家情報局はインテリジェンスの司令塔と位置づけられ、既存の内閣情報調査室(内調)を格上げする形で設置される。トップの内調室長は警備公安の警察官僚の指定席と言われている。永嶋さんは「情報の収集・分析・対処に充てる予算や人員が大幅に増強され、警察組織の権限や権益がさらに拡大されることだ」と指摘する。
高市首相は「情報収集や分析のほか、外国勢力の工作活動も調査対象とする」と強調し、「市民の監視強化ではない」と答弁している(4月3日付日本経済新聞夕刊)。だが、永嶋さんは「市民監視をしないなら、誰が外国勢力か、その手先か、調査・監視できない」と指摘する。
自民党は衆院選の公約に「他国の不当な介入を阻止するため、外国代理人登録等の関連法制を整える」と明記した。外国代理人登録制度は、外国政府や海外企業のために政治的な活動をする人に登録を義務づけることで、登録せずに活動すると処罰される。
ロシアでは「非営利団体に関する法律」が2012年に改正され、「外国エージェント(代理人)法」と呼ばれるようになった。外国や外国人、国際組織などから資金提供を受け、何らかの政治的活動に携わっている団体は、外国のエージェントとして登録する義務を課せられている。
プーチン大統領の弾圧的法律の中核をなす悪法と言われており、「政治的活動が何か、その基準もあいまいです。これまでに1000以上のNGOが捜索を受け、アムネスティなどの人権団体は罰金を科せられ、閉鎖に追い込まれています」。
17年には外国のマスメディアにも適用された。永嶋さんは言う。「政府に反対するメディアは、その政府から見れば外国勢力の手先なのです」
国家情報局とともに「対外情報庁」(仮称)も創設される。外国の情報を収集・分析する対外情報組織で、モデルは米国中央情報局(CIA)。戦後、日本版CIAがなかったのは「憲法で戦争放棄を宣言したからだ」と語り、こう言い添える。
「高市政権が意気込むインテリジェンス機能強化の先に見据えるのは、戦争なのでしょう」
大阪在住の在日コリアン3世、李香代(イヒャンデ)さんが、SNSの投稿でヘイトスピーチを受けたとして、大阪・泉南市の添田詩織市議(自民)に対し損害賠償などを求めた訴訟の控訴審が4月15日、大阪高裁(谷口安史裁判長)で開かれた。一審判決はプライバシー権、肖像権、人格権を侵害する違法行為だとして市議に55万円の支払いと投稿の削除を命じた。しかし、民族差別かどうかの判断を避け、李さんが控訴していた。
原告の李さんは大阪市のイベント制作会社「Try Hard Japan」役員。泉南市と業務委託契約を結んだ同社をめぐり、添田市議は「中国系企業」「多額の公金が〝ダダ漏れ〟」などと週刊誌などで繰り返し批判した。一昨年2月2日、同社が添田市議を提訴すると、同じ日、市議はⅩ(旧ツイッター)で、李さんへの攻撃を始めた。
投稿で、オモニ会役員として朝鮮学校への補助金復活を求め活動する李さんの写真を複数載せたり、いとこの李哲(イチョル)さんが再審無罪が確定した冤罪被害者であるにもかかわらず、「スパイ事件で死刑判決を受けた」などと書き込んだりした。
昨年10月の大阪地裁判決は市議という公人が一私人に対して行った名誉棄損、プライバシー侵害、肖像権侵害のいずれも認定。いわゆる『犬笛型ヘイト』の構造も認め、投稿の削除も認めた。しかし「在日コリアンといった属性一般に着目したものとは認められない」と、差別との認定は避けた。添田市議はその後も、Xや動画配信サイトで李さんへのヘイトを続けている。
李さんは控訴審の意見陳述でこう思いを述べた。
「大阪地裁判決では、一番訴えたかった『これが差別である』という点については切り捨てられてしまいました。添田市議は会社の役員が何人もいる中で、私一人を選び出し『外国籍』だと決めつけ、さらしました。その理由が私が『在日コリアン』だからでないなら一体何なのでしょう。
数万人のフォロワーがいる政治家に『犯罪者の指名手配』のようにさらされた恐怖は言葉で言い表せません。
『これは差別だ』という認定を勝ち取らなければ、今後も、フォロワー数の多い政治家が気に入らない相手のルーツを暴き、攻撃の的にする卑劣なまねが繰り返されてしまいます。在日コリアンが自分の名前と顔を出して、当たり前に、安心して暮らしていける未来を願っています」
控訴審はこの日で結審した。判決は7月29日午後2時に言い渡される。
「未還の名簿」出版
【東京】「第21回開高健ノンフィクション賞」を受賞した毎日新聞記者の青島顕さんが受賞後第1作として「未還の名簿――シベリア最下層捕虜・村山常雄の祈り」(2200円)を集英社から出版した。
戦後、シベリアに抑留され亡くなった日本兵4万6300人の名簿を一人で作った村山常雄さん(2014年に88歳で死去)の執念に光を当てたノンフィクション。
村山さんは4年間シベリアに抑留され、病気になって帰国。故郷の新潟県で中学校の国語教師として教壇に立ち、定年まで勤めた。
シベリア抑留死亡者の名簿作りに着手したのは70歳の時。1991年、当時のソ連が日本政府に渡した名簿の中には「オオソナ・タシナブ」など、聞き取った氏名をカタカナに音訳した不正確なものが多かった。「人の死があまりにも軽く扱われていないか」と、漢字での正確な氏名の名簿を作らねばならないと決意する。
持病の高血圧と戦いながら毎日10時間、10年かかった。オオソナ・タシノブさんは、熊本県出身の大園利信さんであることを突き止めた。
青島さんは「異国で理不尽に亡くなった人たちと60年にわたって対話を続けた人物の物語です。シベリア抑留について黒田清さんは『心の問題がある』と言いましたが、その言葉をかみしめながら書きました」と話す。
「浅見洋子全詩集」刊行
【東京】詩人の浅見洋子さんがこれまでの詩集を一冊にまとめた「浅見洋子全詩集――南千住・泪橋・水俣・東京大空襲」(4180円)をコールサック社から刊行した。
自身の自伝的は三部作といわれる「歩道橋」(1984年)、「交差点」(87年)、「隅田川の堤」(89年)。酒におぼれ、家族を自分を痛め続けた長兄を見送り、自分詩から離れて社会に目を向けた「もぎ取られた青春」(99年)、「水俣のこころ」(2009年)、「独りぽっちの人生(せいかつ)――東京大空襲により心をこわされた子たち」(11年)を一冊にまとめた。
浅見さんは南千住のダンダン橋から「お化け煙突」を見上げた少女の視線を胸に秘めて、後に東京大空襲の戦災孤児や水俣病患者に寄り添い、その思いを代弁をする詩を創り上げてきた。
「絞首台からの生還」
【東京】小山帥人さんと西村秀樹さんが監督を務めたドキュメンタリー映画「絞首台からの生還」が5月8日から1週間、武蔵野市のアップリンク吉祥寺で上映される。
韓国の軍事政権時代、母国に留学中だった在日韓国人の若者らが「北朝鮮のスパイ」にでっち上げられる事件が相次いだ。
1975年、「在日同胞スパイ団事件」として発表された「11・22事件」で死刑判決を受けた康宗憲(カン・ジョンホン)さん、李哲(イ・チョル)さんらの証言を中心に、凄惨な拷問の実情、獄中での闘い、再審無罪へ長い道のりなどを描いている。
関西でも、5月15~21日、京都シネマ▼16~29日、シネ・ヌーヴォ(大阪)▼23~29日、元町映画館(神戸)で上映予定。詳しくはHP「絞首台からの生還」で。
平和ガイド、父から引き継ぐ
父の知花昌一さんは1983年の調査に若い世代として参加した。下嶋哲朗さん、比嘉平信さんとともに取り組んだこの調査でタブーとされていたチビチリガマの出来事が戦後38年を経て明らかになったのである。
昌一さんはその後、平和ガイドとしてチビチリガマであったこと、そして命の大切さを伝えてきた。
そんな父を見てきた昌太朗さん。数年前に昌一さんが体調を崩したことでガイドを引き継いだ。
でも、それまではガイドを避けたい気持ちもあったんですかと尋ねると――
あるときこんなことがあった
父がダブルブッキングして、電話で「今、那覇。ガイド、代わりにやってくれないか」という。やりたくなかった。父のようにできないから。
でも、こんなことがあったときのために、しゃべれるようになっとこうと思った。その後、二人でガイド、引き受けたり。でも全員が助かったシムクガマの方を引き 受けた。多くの人が亡くなったチビチリガマは軽はずみに言えないので、やりたくなかった。
……
1933(昭和8)年3月、三陸地方を大地震と高さ23㍍の津波が襲い、死者・行方不明が3000人を超す。2年前に北海道・東北を襲った冷害と凶作で、45万人が飢餓線上に立たされていた。間なしの大地震と津波である。この地方の人々の生活を壊し、飢餓と女の身売りもあい次いだ。そして各地で小作争議や労働争議が噴出。また、右翼の血盟団の「一人一殺」を標榜するテロも続発する。
32年には井上準之助前蔵相を暗殺。陸海軍将校による犬養毅首相射殺が起きた。5・15事件である。33年、日本は国際連盟を脱退し、国際的孤立の道を踏み出した。特高による作家小林多喜二の虐殺。小学1年生の教科書は「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」と改訂され、軍国色が濃厚になる。
5月には京都帝大で「滝川事件」が勃発。権力が迫り上がり、学問の自由は失われていく。暗い世相を象徴するように、三原山で学生など若者の投身自殺があい次ぎ、男女1000人近い自殺者が続出。そんな時代背景であった。
同年、溝口健二は『滝の白糸』を撮った。原作は泉鏡花。新派悲劇の代表的な演目である。人気絶頂の入江たか子と岡田時彦の共演だ。溝口は不幸な女主人公を美しく、しかしリアルに描いた。東京の下町生まれの彼は、姉が芸者で愛人となって生活を支えた生い立ちで、人情の表裏を知りつくし、人間を厳しく冷静に見る観察眼があった。若いときから私娼窟に出入りし、女との愛憎を繰り返していた。溝口のリアリズムの眼は、京都で暮らすようになって、より深く磨かれた。
……
前回は米国のAI企業「アンソロピック」が国を訴えた話を書きました。アンソロピックは、国防総省と情報の分析に関する契約を結んでいましたが、「もっと広く使わせろ」と要求され、「NO」を突きつけたことで両者が争うことになりました。
急速に進歩してきたAIは、軍事利用も拡大する一方、その規制は追いついていません。EUはAI法を成立させて規制に動いていますが、米国はもちろんのこと、日本も規制には後ろ向きです。各地で起こっている戦争を見ていると、ルール作りを急ぐべきですが、法を無視する権力者が目立つ今、夢物語に思えます。
さて、前回は「クロード」には哲学があると書きました。それはこの生成AIの、「人格を調整する専門チーム」を率いるアマンダ・アスケル氏が、人工知能の研究者であるとともに哲学者でもあるからです。彼女はクロードに「誠実さ」と「品性」を学習させる調整作業を主導しています。
そもそも「AIに意識や感情はあるのか」については、専門家の間で意見が分かれています。アスケルさんはこのどちらの主張も支持していません。メディアの取材には「わからないことはわからないという知性」と語っています。その上で「モデルの福祉」を大事にします。AIがもし苦痛を感じる能力を持っていたら、道徳的な問題があるからという考えです。
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タイトルを見て、「何なんだ!」と疑問が湧くことでしょう。表紙には右から左へ平仮名で「ぜつぼう」と描かれた灰色の文字。「ぜ」のてんてんの濁点の色だけ赤色で区別されています。右下には、打ちひしがれたような表情の顔が見えますか。話はこんな風に始まります。
「昔、むかしあるところに言葉の世界がありまして その真ん中におだやかな平仮名の国がありました――」。見開きいっぱいに描かれた「ひらがな」の文字は擬人化され、カラフルに彩られています。そこは、「あ」から「ん」までの五十音がくっつき合って意味をなして暮らす世界なのです。
しかし、この穏やかな平仮名の国にちょっとした珍事が起こります。ひなびた「や」行の町の道端にどういう訳かてんてんと濁点のみが置き去りにされていたのです。ページの真ん中には茶色い道に灰いろの濁点がポツンと描かれています。この世界は、主(あるじ)たるべく平仮名もなしに濁点だけでいるようなことは一度もなかったからです。「や」行の住人が濁点を取り囲んで尋ねます。色とりどりの「やゐゆゑよ」が濁点を取り囲んでいるこのページは、何とも不思議です。
平仮名、濁点が擬人化され、さらに個性的に彩色されて自由に動き回ります。どうして濁点は一人でいるのでしょう? 「や」行の住人に濁点はか細い声で胸の内を打ち明けます。彼は、山の向うの森に住む「ぜつぼう」に仕えていました。「せ」の字について忠実に職務を果たしていたのに、年がら年中「もうだめだ……」と頭を抱える主を見て、濁点自身が主を不幸にしているのではないかと思うようになったのです。自分さえいなければと思い、主に頼み込み道に捨ててもらったと身の上を語り終えます。
「や」行の仲間たちに語り終えた濁点は、「誠心誠意奉公するので自分を今度はもらってくれまいか」と頼みます。土下座して頼み込む濁点に「や」行の住人たちは腕組みをしてバツの悪そうな顔しかしません。「やぶからぼう」が断ると、住人たちは次々に帰っていきます。懇願する濁点の表情と「や」行たちが断るページは、読み手も濁点が何とか助かってほしいと思うようになっていきます。
一人ポツンと取り残された濁点に何者かが近づいてきます。大きな「おせわ」の三文字です。彼は濁点に、「この世に存在する意味のないやつの世話をしてやるのが俺の仕事だ」と告げて濁点を担いで「し」の沼へ連れて行き、沼へ放り込みます。濁点は沼に沈みながら、「これが、主が味わっていたぜつぼうというものなのか……」と思います。この空しい深い孤独の中に今いることで、主を救い出せたのだ。よかったと自身に言い聞かせます。
その呟きが「きほう」となり「ほ」の字にくっつけ!と言われます。そして、それは「きぼう」となって水面に上がり、大気に溶け、あまねくこの世を満たしました。この絶望の濁点が希望の濁点になった瞬間の描写は、鮮やかな色どりと満面の笑顔の濁点で締めくくられています。
この作品は、原田宗典さんの『ゆめうつつ草紙』の中の一編です。詩でも小説でもない珠玉の物語が、柚木沙弥郎さんの幻想的な表現で描かれることで、日本語の持つ不思議さが際立ち、大きな広がりを見せる作品となっています。
「戦争はダメだ」
通じない時代に
大阪府 松本圭司
毎月、「新聞うずみ火」が届くのを心待ちにしながらも、最近は社会に向き合うことに憂鬱で、届いてからしばらく逡巡し、気合いを入れて封を開くこの頃です。
矢野さんの著書「城が燃えた」発売の案内が来て紀伊國屋書店へ行くと、歴史コーナーに複数冊並んでいました。売れてほしいなと、期待を込めつつ、うれしくなりました。
小学生の頃から城郭建築には興味があり、矢野さんが指摘されているように、城が破壊された明治時代の払い下げと、太平洋戦争での空襲に対しては憤りを覚えていました。いずれの時代にも、お城に対して思いを持つ人がおり、保存を訴えたり、空襲被害を避けるように工夫したり、当時の姿を復興したりされてきたことに改めて感謝したいです。
私は京都出身なので、小学生の低学年の時に、先生から「京都は文化財が多くあるから、原爆が落とされなかった」と教わりました。その後、地域の歴史を学ぶなかで「戦争があっても、自分は京都にいる限り、守られている」と都合よく曲解していましたが、高学年になって広島の平和資料館へ行き、京都も原爆投下の対象になっていたことを知り、衝撃を受けました。
当時はあの原爆人形もあり、自らの姿を重ね合わせ、何度も両親に「原爆落ちないよね?」と聞いたり、夜中に1人でトイレに行けなくなったりしたことを思い出し、あの展示を恨んだこともよみがえりました。
また、「はだしのゲン」が学級文庫にあり、みんなで奪い合うように読み、原爆のシーンのリアルさに再び衝撃を受けた小学生でした。
今になり、作者の中沢啓治さんが「本当の原爆はこんなものではない」「漫画でトラウマになってくれれば、『戦争はダメだ』となるから、それで良い」とおっしゃっていたことを、深くその意味をかみしめ、体験談を読みました。
戦争はダメだ。そんなシンプルな言葉が伝わらなくなったのはなぜなのでしょうか。「戦争体験者がいる限りは大丈夫」という言葉が真実なのであれば、永遠に戦争をしないといけないのでしょうか。それでも人間の知性を信じたいと本を読み終え、思いを固くしました。
(旧ソ連軍と関東軍が衝突したノモンハン事件で九死に一生を得た田中角栄元首相は、「戦争を知っているやつがいるうちは、日本は安心だ。戦争を知らない世代がこの国の中核になった時が怖い」という言葉を残しました。衆参両院の約99%を戦後世代が占める今、渡辺白泉の句「戦争が廊下の奥に立つてゐた」を実感しています)
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財布窃盗事件の続報です。
警察署に盗難届を出したり、カード類を使用停止にしてもらったりと手続きは次々とこなしていたが、スマートフォンでやり取りをしていたら手首を痛めた。スマホを耳の高さに持ってきた時、痛みと震えが出た。「弱り目に祟り目」とはこのことだ。さらに、カード会社のオペレーターと電話でのやり取りを重ねるうちに、「本当はあなたではないのか」と疑われているように感じた。音声ガイドで「電話でのやり取りはサービス向上のために録音する」と言っているのだから聞き直したらいい。何で被害にあった方が嫌な思いをしなくてはいけないのか。
電話で話した内容は記録されているそうで、オペレーターはこの記録をもとに話を進める。だが、この記録に疑問が残る。言っていることにくい違いがあるのだ。外に出ていた時に電話がかかってきたから、「外にいるからあらためて連絡してください」と伝えた。その後、再び電話があったが、別の担当者からだった。
不審な口ぶりで話し始め、「なぜ、電話を切ったのか」と言いがかりをつけられた。「自分から切るわけがないではないか」と返答すると、「引き継ぎに書いてある」と言う。それが間違いだと伝えたが、腑に落ちない様子。「記録ではなく、録音データを聞いてみなさいよ」と言いたくなった。
カード会社とのやり取りが落ち着いた頃、玄関のチャイムが鳴った。出ると、帽子をかぶった髪の毛はぼさぼさの小柄なおじさんが立っていた。「佐藤京子さんはあなた?」と尋ねられ、「これはあなたの?」と差し出された財布を見て、「私のです」。渋谷の繫華街で拾ったそうで、財布の中に残っていた免許証を見て持って来たのだという。家から渋谷までの距離は4㌔ほどで、歩けない距離ではない。自分で「ホームレス」と名乗っていた。お礼を言うと、「200円だけちょうだい」と言う。わざわざ持って来てくれた理由が分かった。
ペットボトルのお茶と気持ちばかりに少しの現金を手渡した。それが良いことかどうかはわからないが、財布の中には大切な友人との写真が入っていた。カードも現金もなかったが、この写真だけでも戻ってほしかったのでホッとした。友人たちは口をそろえて「ホームレスさんが再びやって来るのではないか」と心配していたが、気にすればきりがない。
財布盗難事件はこの後に使われたカードの保障が済めば終了となる。
第324回びわこ南部地域人権啓発連続講座
・日時 5月13日(水)午後2~4時
・会場 滋賀県湖南市三雲のみくも地域人権福祉市民交流センター
・演題 「戦争を語り継ぐこと」
・資料代 1000円
・連絡先 びわこ南部地域人権啓発連続講座実行委員会(TEL・FAX0748・60・7412)
学校法人駿河学院「沖縄修学旅行の事前指導」
・日時 5月15日(金)午前9時10分~清水学院、11時~駿河学院、午後1時20分~藤枝学院
・演題 「生死を分けた二つのガマと学徒たちの沖縄戦」
新聞うずみ火恒例のお花見集いが4月12日、大阪城公園の教育塔東側で行われ、30人が参加した。
今年もJR東海労新幹線関西地本の三田憲一さんら5人が朝早くから場所を確保。正午に近づくにつれ、ブルーシート上の輪が広がっていった。
週に3回透析に通っている工藤孝志さんは「アメリカによるイラン攻撃でホルムズ海峡が封鎖され、注射器やチューブ、点滴用器などが不足するのではと不安は尽きません」と語った。「北大阪ハッキョを支える会」代表の大村和子さんは、前日のうずみ火講座に触れ、「朝鮮学校に通う子どもたちは『北朝鮮のスパイ』との暴言を受けています。スパイ防止法が制定されたらどうなるのか、恐怖を覚えます」と排外主義が強まる風潮を憂えた。
千葉から参加した白井政幸さん持参の群馬の酒「谷川岳」にグラスを重ね、「9条連・近畿」事務局長の高田博光さん手作りのちらし寿司「NO WAR」=写真=に舌鼓を打った。
宴もたけなわ。李昌樹(リ・チャンス)さんが韓国民主化を象徴する歌「アチミスル(朝露)」を熱唱。夫を医療過誤で亡くした井芹史見代さんが自身を支えてくれたというシャンソンの中から「ろくでなし」を披露してくれた。
葉桜の下、笑顔は満開。名残つきない宴は夕方、お開きとなった。
ふるさと群馬で地元紙の記者になり、約2年間、太田支局で勤務した。90年代に入った頃だ。浮上したのが八王子丘陵の墓地公園計画。その地下には加害の現場があった。潰されていいのか? 「中島飛行機太田地下工場跡を保存する会」(トンネルの会)」が発足。取材を重ねた▼しかし、ほどなく異動になり退社。大阪に居を移し30年あまり。ネットで偶然、トンネルの会の記事に接し、地道な活動が続いていたことに驚かされた▼金龍寺での慰霊式。慰霊碑の前で、トンネルの会の石塚久則さんが慰霊碑建設に尽力した在日一世の名を挙げた。忘れもしない、20代の私に苦難の半生を語ってくれたその人。墓に手を合わせ、無沙汰を詫びた。墓は慰霊碑と目と鼻の先。慰霊碑を見守るように建っていた。 (栗)
韓国・済州島(チェジュド)で島民が大量虐殺された「済州4・3事件」。犠牲者の慰霊祭が4月19日、今年も大阪市天王寺区の統国寺で開かれ、島にルーツを持つ在日コリアンや関係者ら数百人が黙とうをささげた▼日本の敗戦から3年後の1948年4月3日、朝鮮半島の南側だけでの単独選挙は南北分断を固定化するとして反対した島民が蜂起。当時の李承晩政権と米軍の指示の下、軍と警察が掃討作戦を展開し、島民の1割に当たる約3万人が犠牲となったと言われている。源流は日本の侵略戦争であり、植民地遅配である▼慰霊祭で「在日本済州四・三犠牲者遺族会」会長の呉光現(オグァンヒョン)さんがウクライナ、ガザ、イランと続く大国の力による支配に触れ「私たちは平和を求める声を上げていかねばなりません。それが済州四・三の犠牲者を追悼することです」と追悼辞を述べた。高市政権が再び軍拡を進める中で、国会前をはじめ、全国各地で反戦平和デモが行われている。市民の声は時に社会を動かす。諦めずに声を上げ続けることだ。「ごっこ遊び」とあざけられても。 (矢)
3月13日(金)
午後、堀田直樹さんが購読の継続に。夜、三重テレビ編成局長の小川秀幸さんが来社。黒田清さんが好きだったシーバスリーガルで献杯。
3月14日(土)
第1次大阪大空襲から81年。矢野は午後、ピースおおさか前で行われた朝鮮半島出身犠牲者らを追悼する集会を取材。
3月18日(水)
矢野、栗原 午後、大阪府吹田市の関西大学へ。高市政権下で加速する軍拡・改憲の動きについて高作正博教授(憲法学)にインタビュー。
午後、石田冨美枝さん、竹腰英樹さん、金順玉(キム・スノク)さんが新聞の折込チラシのセット作業に。
3月24日(火)
午後、新聞発送前に残りのチラシをセットしておこうと、金川正明さん、柳田充啓さん、長谷川伸治さんがコロッケ持参で事務所へ。久しぶり参加の大村和子さん、康乗真一さん、樋口元義さんも駆けつけ、新聞の発送作業。郵便局の回収に何とか間に合い、仕事を終えて駆けつけてくれた多田一夫さんも一緒にカンパーイ!
3月25日(水)
午後、うずみ火事務所で「茶話会」。新聞を出したばかりで告知もできず、雨とあって参加者は宇治忠さん一人。それでも矢野との「対談」が弾み、あっという間の2時間。
3月27日(金)
夜、うずみ火事務所で、定岡由紀子弁護士を囲み、憲法を学んだあと乾杯する「憲法BAR」。西三樹夫さんが職場仲間の長谷川弘樹さんを誘って参加。
3月28日(土)
矢野 午後、ラポール京都で開かれた「憲法を活かす京都郵政労働者の会」(田中修代表)主催の「ラサール石井講演会」。
3月29日(日)
矢野 午前の新幹線で名古屋へ。足を延ばして満開の桜の清洲城を散策。午後、名古屋国際センターで開かれた「第9条の会なごや」(代表・加藤雅章さん)主催の講演会「高市政権に白紙委任していないぞ!」と題して講演。打ち上げの後、辻知幸さんに誘われ、伊藤孝司さんと三次会。
3月31日(火)
矢野 滋賀県人権センターの機関誌「じんけん」で連載している「矢野宏の現場主義」の原稿を送る。
4月3日(金)
午後、服部綾さんが来社。
4月4日(土)
矢野 午後、PLP会館で開かれた「9条連・近畿」の学習会で講演。演題は「崖っぷちの憲法!自民3分の2」。沖縄から「台湾228事件、真実を求める沖縄の会」代表の青山恵昭さん・喜佐子さんも駆けつけてくれる。
4月6日(月)
夜、神戸・三宮で、働く悩みを解決するための書店「Work‐Books」を経営している元ABC記者の西澤明文さんが来社。
4月7日(火)
矢野、栗原 午前の新幹線で東京へ。防衛ジャーナリストの半田滋さんに「高市政権で加速する安全保障政策の見直し」について話を聞く。
4月8日(水)
夜、国会前で開かれた「平和憲法を守るための緊急アクション」に合わせ、大阪でも2000人がヨドバシカメラ梅田を取り巻き、「戦争反対」の大合唱。矢野は来社した木下功さんと取材。栗原はJR高崎駅前でスタンディング。
4月9日(木)
矢野 昨年に続き、大阪暁光高校看護専攻科の非常勤講師として社会学を担当することになり、午後から初講義。南海高野線に乗っていたが気が付けば泉北線。あちゃー。
栗原 午前、東京・丸の内の三菱重工、日鉄本社前で韓国の元徴用工らの抗議行動を取材。午後は院内集会へ。
4月11日(土)
午後、クレオ大阪西で「うずみ火講座」。治安法制に詳しい永嶋靖久弁護士を講師に招き、高市自民と維新が進める「インテリジェンス・『スパイ防止法』体制」の危険性について語ってもらう。
4月12日(日)
正午から新聞うずみ火恒例のお花見集い。葉桜を愛でながら食べて飲んで語り合う。
・うずみ火講座
5月9日「まだやるの?『大阪都構想』」
うずみ火講座は5月9日(土)午後2時半、大阪市北区のPLP会館で開きます。講師は本紙に「大阪都構想」をめぐる問題について執筆しているジャーナリストの木下功さん。演題は「まだやるの?『大阪都構想』住民投票――12年で3回目、今度決めるのは府民?」です。
大阪市を廃止する「都構想」の3度目の住民投票をめぐり、大阪府の吉村洋文知事は、来春の統一地方選と同日の投開票を検討しています。さらに、住民投票の対象を従来の市民から府民へ拡大できるとの見解を示しながら、吉村氏自身は国政に進出するのではとの報道も出ています。木下さんに解説してもらいます。
当日は「UCO」の協力でオンライン中継します。希望者はうずみ火事務所まで。いつでも視聴できるURLをお伝えします。
資料代1000円、オンライン500円
・6月23日「沖縄戦跡フィールドワーク」
沖縄戦跡をめぐるフィールドワークは6月23日正午集合でスタートします。今年も沖縄戦・戦後史研究者で琉球大准教授の謝花直美さんの案内で、浦添市から首里戦線を訪ねます(10、11面参照)。
現地集合、現地解散。マイクロバスの手配などもありますので、参加希望者はうずみ火事務所までお知らせください。懇親会もあります。
・8月1日「黒田清さんを偲ぶライブ」
コント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバーで戯作者の松崎菊也さんと石倉直樹さんを招いての「黒田清さんを偲び、平和を考える集い」は8月1日(土)、大阪府豊中市の市立とよなか男女共同参画推進センター「すてっぷホール」で開催します。今年も二人の風刺トーク&コントをお楽しみください。
当日は午後2時開場、2時半開演。資料代は2200円(読者2000円)です。
なお、当日会場で配布するパンフレットの「一声広告」(1マス3000円~)、カンパを募集します。物価高の折に心苦しいのですが、今月号に郵便振替用紙を同封させていただきました。無理のない範囲でお力添えをよろしくお願いします。
◆購読・継続方法 新聞うずみ火は月刊の新聞です。ぜひ、定期購読の輪にご参加下さい。
購読・継続を希望される方は、お近くの郵便局か銀行で年間購読料として1部330円(税込み)×12カ月分、計3960円を下記の口座にお振り込みください。毎月23日頃にお手元へ郵送します。
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