新聞うずみ火 最新号

2026年9月号(NO.251)

  • 1面~4面 マレーシア 加害の傷跡を訪ねて 華僑敵視した日本軍(栗原佳子)

    今年の全国戦没者追悼式の式辞で高市早苗首相は「先の大戦では310万人の同胞の命が失われた」と述べる一方、日本軍の被害を受けたアジア太平洋地域の犠牲には触れなかった。「反省」の文言も封印した。同じ8月半ば、アジアの戦争被害者を招いて証言集会を続ける市民グループ「アジア・フォーラム横浜」の吉池俊子代表らはマレーシアに足を運び、加害の傷痕に向き合っていた。 

    マレーシアの首都クアラルンプールから南へ高速道路を経由し約1時間半。ネグリ・センビラン州ティティ村の「中華義山」にたどり
    つく。義山は共同墓地のこと。沖縄の亀甲墓を小型にしたような墓が広大な丘陵を覆うように並んでいる。
     
    目を引くのが橙色の石碑だ。「余朗郎蒙難華族同胞紀念碑」。余朗郎はイロンロン村の中国語表記。この村の「男女老幼」1474人が日本軍に虐殺されたことを文字に刻んでいる。
     
    「イロンロン村があったのはここから1㌔くらい先の場所でした」。ガイド兼通訳の楊佐智(ヨン・チョーチー)さんが指し示す。
     
    1942年3月18日。約100人の日本兵が村にやってきた。食糧配給の人口調査のため身分を確認するとして住民を小学校に集めた。数十人ずつ連れ出し、虐殺。全戸が焼き払われ、約200世帯あった村は消滅した。生き残った人はごくわずか。遺骨は隣村ティティの人たちが仮埋葬。70年代、ここに再埋葬され、追悼碑ができた。

    41年12月8日、日本軍は真珠湾攻撃に先駆け、マレー半島(英領マラヤ)に上陸した。目的は石油やゴムなど豊富な資源。42年2月には南端のシンガポールを陥落させ、日本軍は敗戦までシンガポールとマレー半島を占領した。
     
    この地域には当時から多数の華僑(華人)が居住。日中戦争が泥沼化する中、侵略された本国の抗日運動を金銭的に支えた華僑を日本軍は敵視。陥落直後のシンガポールで「敵性華僑狩り」の名目で住民を虐殺、42年3月にはマレー半島各地にその範囲を広げた。
     
    ネグリ・センビラン州は山あいにあり、抗日ゲリラ活動に適すると目されたという。「中国系住民は見つけ次第皆殺しにせよ」と命令。日本軍の「陣中日誌」には「本日ノ不逞分子刺殺数五五名」などと詳細に記されている。
     
    イロンロン村の追悼碑は2005年に改葬された。12年には虐殺事件70年を前に中国語、英語、マレー語とともに、日本語の説明板も出来た。事件の概要とともに「時が流れ、時代が変化しても耐え忍ばれた苦しみと痛みは、ここに永存します」と記されている。
    ……

  • 5面~7面 「都構想」形骸化した法定協 また示された4区案(木下功)

    大阪市を廃止して特別区を設置する「大阪都構想」の制度案について、大阪維新の会は特別区の数を四つとする案に決めた。4区案は2020年の住民投票で否決されている。今回の案は、四つの特別区に分けられる行政区の組み合わせを一部変更するのみで、現時点で制度上の利点が向上したとは言えない。8月6日に維新の内部で出した4区案という結論を、翌7日の法定協議会で質疑なく追認しており、形骸化した法定協で制度案づくりが進んでいく。

    8月7日、大阪市役所の一室に吉村洋文知事、横山英幸市長、維新の府議、市議合わせて13人が集まり、第5回法定協が開会された。前回の法定協で絞り込んだ4区案、8区案、24区案について事務局が説明したが質疑はほとんどなかった。
     
    大阪維新の会として前日に採用を決めていた4区案については、藤田あきら市議が利点について、各特別区の財政基盤が安定している▽人口、財政規模の格差が生じにくい▽コミュニティーの分断が生じにくい▽現行の大阪市とほぼ同等の事務を担うことが可能▽新大阪、梅田、なんば、天王寺のターミナルを各区に配置できる▽庁舎の確保、職員数の増加といったコストが小さい――などを挙げた。
     
    「前回の住民投票で否決された」という維新内部からの意見に対しては「市民の声や地域特性に配慮した、いわば新4区案」だとして問題ないとの考えを示した。
     
    今回の4区案は、現在の24行政区のうち港、住吉、東成の3区について、前回とは異なる特別区に組み入れる。1区あたりの人口は政令指定都市並みの約58万~88万人を想定している。
     
    しかし、挙げられた利点は前回の住民投票の際の4区案とほぼ同じであり、3行政区が入る特別区を変更したため、前4区案より人口、財政規模の格差は広がっている。
     
    法定協終了後、吉村知事と横山市長が取材に対応。決定した4区案について、吉村知事は「住民サービスに特化した自治体としてより注力していく。その上で一定の安定性、将来の継続性、それぞれの地域コミュニティーを考えて最も適切な案」と評価。横山市長は「人口規模も財政規模も大きく、担う権能も大きい。前回と同じじゃないかという意見に関しては、前回の住民投票で4区だから嫌だという意見は見つけるのが難しい」とし、反対理由は4区とは別という認識を示した。
    ……

  • 8面~11面 熊本地震・取材ルポ 酷暑 爆発 未知の被害(粟野仁雄)

    7月28日午後4時27分、熊本県でマグニチュード7・1、震度は氷川町と宇城市で7、熊本市や八代市で震度6強などの大地震が発生。関連死の可能性のある2人を含む39人が亡くなった。1週間後、現地入りした。

    冬に起きた能登半島地震では車中泊取材もしたが、猛暑で被災者が車では寝られないと報じている。妻が必死で八代市のホテルルートインを確保したが「水は出ませんし、朝食も難しいけれどいいですか」。それでもありがたい。神戸港からのフェリーに飲料や食料を積み込んだ愛車で8月3日夜出発。翌4日朝、竹田市などを通り、南阿蘇村、益城町も通った。
     
    10年前の熊本地震で取材した時は、軒並み住宅が大破していた益城町は復旧していた。スマホの地図で嘉島町のイオンモール熊本に設定すると、

    「営業していない可能性があります」。 
     
    地震発生から約1時間後に大爆発した巨大商業施設だ。一度は外へ避難しながら戻ったテナントの従業員ら7人の命が奪われた。郊外型の巨大施設には、親子連れなど3000人近く客がいた。到着した8月4日は、ここで亡くなった大竹玖瑠美さん(享年22)の葬儀が行われていた。
     
    ドラッグストアの駐車場に車を止めて歩くと、緑川の堤防から無残な建物が見え、撮影した。壁はすべて吹っ飛び、骨組みだけ。それも多くはひん曲がっている。それでも、もう一度余震が来て崩れたら危ないじゃないか、と思われる高い位置で何人かが片付け作業? をしていた。
     
    真っ先にここに来たのは、すぐにブルーシートなどで覆われてしまうからだ。経営者は惨状を報じられたくない。そのうち、パトカーが来て「ここは入ってはだめですよ」。
     
    近所に住む吉田久敏さん(73)は、「外に出ていたら後ろで『どーん』とすごい音がして、ヘリコプターでも落ちたかと思った」。10年前の地震でも大きな被害を受けた吉田さんは「被災家屋の査定は自治体で違う。人が住める状態ではなかったのに、全壊ではなく半壊にされた」と今も不満そう。そしてこんな発言も。「昨日、高市首相が来た。腹立たしかった。迷惑なだけ」
     
    高市首相は筆者とすれ違うように、熊本市で最高気温40度を超えた3日に「日帰り慰問」に来ていた。多くの災害取材で首相や国交相が来るのを見るが、多くの県職員や市職員が被災民の援助を放り投げて要人来訪の応対にあたる。吉田さんの言うとおりだ。
     
    国道3号を八代市方面に走る。暑くなってきたが、午後2時ごろ急に暗くなり、猛烈な雨で涼しくなった。つぶれた家を撮影して車に戻るとぐらっと余震が来た。
     
    氷川町で上半身裸でいたのは白丸弘起さん。敷地にモンゴルのゲルのような物体が立っている。聞けば、名古屋工業大学の北川啓介教授が災害用に開発した「インスタントハウス」。内側に断熱材を吹き付け、冷暖房付き。能登半島地震では300ほど建てられた。通電したのはこの日だった。車で「軒下避難」していた白丸さんは「涼しくて助かる。母と兄夫婦といた時に襲われた。反対側に飛ばされた。幸い誰もけがしなかった。築120年ほどの家は壊滅状態で中に入れないよ」。
    ……

  • 12面~13面 沖縄「島守の塔」慰霊祭 戦争責任に知らん顔(下地毅)

    高市早苗氏が「タダの衆議院議員」だった頃、「私自身は当事者とはいえない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない」と言い、日本が行った戦争については「自存自衛」のためだったと完全肯定していた。
     
    核抑止力を肯定し、アメリカの核の傘に入り、場合によっては核兵器を借りることもありだという考えに立っていたことも、よく知られている。今夏は、その高市氏が首相となって広島・長崎の原爆犠牲者を追悼し、二度と核兵器が使われないよう、世界平和を希求するそれぞれの式典に出席してあいさつし、さらには8月15日には政府主催で戦没者追悼式を行い、主催者として式辞を述べるので、どのようなことを述べるのか注目された。
     
    広島、長崎では当然のことながら、核兵器は「持たず、作らず、持ち込ませず」の「非核3原則」について、どう述べるのかが関心の的になっていた。式典後の記者会見で、安保3文書改定作業において非核3原則を見直すのかを問われ、厳守すると言わず、「書きぶりを予断することは差し控えたい」と述べた。
     
    年来の主張である「非核3原則」の見直しを進めようとしていることが改めて明らかになり、被団協や被爆者のみならず、核の危険性を叫び、何としても廃絶を実現しようと考えている世界中の人々から、唯一の戦争被爆国の首相が何を言っているのかと批判が寄せられたことは記すまでもない。
     
    そもそも非核三原則は1970年代初頭の沖縄返還日米交渉において、在沖縄米軍に配備され、有事には使える状態になっているアメリカの核兵器をどうするかが問題になった。日本はアメリカの原爆が広島、長崎に投下され、多数の犠牲を余儀なくされ、いまも苦しむ人がいることを踏まえると、沖縄返還とともに在沖縄米軍が在日米軍と一体化することによってアメリカの核兵器を持ち込むことは認めないと、国会で非核三原則決議が行われたのである。
     
    以降、非核三原則は日本の「国是」とも言うべきものとされてきたのであるが、近年、自民党内などではロシア、中国、北朝鮮という核兵器保有国が隣に存在し、ミサイル技術などが向上する中では、核抑止の効果を前提にしてアメリカの核の傘に入り、場合によっては核兵器を借りて対応する必要があるという主張すら出てきて非核三原則見直し論が大きくなり、高市首相も変えようとしているとみられていたのだが、それが明らかになったのだ。
     
    アメリカの核兵器を借りる、利用するなどと言い出したら、どれだけふっかけてくるか目に見えているし、ロシア、中国、北朝鮮の動きは目に見えており、気楽な話ではない。プーチン大統領はそれを見透かすように北方領土を初めて訪問し、絶対に返さないと揺さぶりをかけてきた。
     
    高市首相が本気で非核三原則の見直し、廃棄を考えているのなら大問題であり、国会決議もしているのだから、当然のことながら、首相の一存で決めたり、国会で多数で押し切ることは許されない。破棄は日本の核武装につながりかねないし、連立パートナーである維新は原子力潜水艦の建造、保有、輸出を口にしている。とんでもない話である。
    ……

  • 14面~15面 ヤマケンのどないなっとんねん 地金が出た8月の式辞(山本健治)

    高市早苗氏が「タダの衆議院議員」だった頃、「私自身は当事者とはいえない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもない」と言い、日本が行った戦争については「自存自衛」のためだったと完全肯定していた。
     
    核抑止力を肯定し、アメリカの核の傘に入り、場合によっては核兵器を借りることもありだという考えに立っていたことも、よく知られている。今夏は、その高市氏が首相となって広島・長崎の原爆犠牲者を追悼し、二度と核兵器が使われないよう、世界平和を希求するそれぞれの式典に出席してあいさつし、さらには8月15日には政府主催で戦没者追悼式を行い、主催者として式辞を述べるので、どのようなことを述べるのか注目された。
     
    広島、長崎では当然のことながら、核兵器は「持たず、作らず、持ち込ませず」の「非核3原則」について、どう述べるのかが関心の的になっていた。式典後の記者会見で、安保3文書改定作業において非核3原則を見直すのかを問われ、厳守すると言わず、「書きぶりを予断することは差し控えたい」と述べた。
     
    年来の主張である「非核3原則」の見直しを進めようとしていることが改めて明らかになり、被団協や被爆者のみならず、核の危険性を叫び、何としても廃絶を実現しようと考えている世界中の人々から、唯一の戦争被爆国の首相が何を言っているのかと批判が寄せられたことは記すまでもない。
     
    そもそも非核三原則は1970年代初頭の沖縄返還日米交渉において、在沖縄米軍に配備され、有事には使える状態になっているアメリカの核兵器をどうするかが問題になった。日本はアメリカの原爆が広島、長崎に投下され、多数の犠牲を余儀なくされ、いまも苦しむ人がいることを踏まえると、沖縄返還とともに在沖縄米軍が在日米軍と一体化することによってアメリカの核兵器を持ち込むことは認めないと、国会で非核三原則決議が行われたのである。
     
    以降、非核三原則は日本の「国是」とも言うべきものとされてきたのであるが、近年、自民党内などではロシア、中国、北朝鮮という核兵器保有国が隣に存在し、ミサイル技術などが向上する中では、核抑止の効果を前提にしてアメリカの核の傘に入り、場合によっては核兵器を借りて対応する必要があるという主張すら出てきて非核三原則見直し論が大きくなり、高市首相も変えようとしているとみられていたのだが、それが明らかになったのだ。
     
    アメリカの核兵器を借りる、利用するなどと言い出したら、どれだけふっかけてくるか目に見えているし、ロシア、中国、北朝鮮の動きは目に見えており、気楽な話ではない。プーチン大統領はそれを見透かすように北方領土を初めて訪問し、絶対に返さないと揺さぶりをかけてきた。
     
    高市首相が本気で非核三原則の見直し、廃棄を考えているのなら大問題であり、国会決議もしているのだから、当然のことながら、首相の一存で決めたり、国会で多数で押し切ることは許されない。破棄は日本の核武装につながりかねないし、連立パートナーである維新は原子力潜水艦の建造、保有、輸出を口にしている。とんでもない話である。
    ……

  • 16面~17面 世界で平和を考える エネルギーの「地産地消」(西谷文和)

    おそらくアメリカとイランの戦争はこのままダラダラと続き、弾薬を使い果たした米軍が軍事的に立ち往生した状況の中で、トランプが一方的に「勝利宣言」をして、ダラダラと終わりに向かうのだと予想している。
     
    3月、戦争開始直後の時点でアメリカ国内の戦争支持率は約30%。これはベトナム側に約300万人、米軍側に5万8000人超の多大な犠牲を払った上で、サイゴンから逃げ出さざるを得なくなったベトナム戦争末期の支持率とほぼ同じ。アメリカでは戦争をすれば、その時だけ一時的に支持率が上がる傾向があるので、トランプの目算は外れるどころか、全く裏目に出ているのだ。
     
    では、なぜこんな無謀な戦争に踏み切ったのか?
     
    背景にあるのは、南米ベネズエラでの成功体験だろう。最高指導者を殺害すればベネズエラ同様イランはガタガタと崩れるだろう、という単純さ。国内事情としてはエプスタイン文書。自分の島に少女を連れてきて売春させていたエプスタイン。その顧客がトランプだったという超弩級のスキャンダルをもみ消すためには、更なるサプライズを起こさねばならない。第2次トランプ政権内部には「暴走する王様」を止める人材がいなかった。
     
    ホルムズ海峡の封鎖で世界も日本も大ピンチ、原油高と円安による物価高騰が庶民生活に襲いかかっている。日本の中間層、貧困層にとっては大打撃で、原材料の上昇と購買力の低下で、この秋、日本は「中小企業の大倒産時代」を迎えるだろう。
     
    このピンチを利用してさらに日本を危機にさらそうとしているのが「原子力ムラ」である。電気事業連合会の森望会長が原発再稼働を強調している。「天然ガスが入らないから電気代を上げねばならない」と脅かした上で、それが嫌なら原発を、というわけだ。

    しかし彼ら原子力ムラがいう「日本には資源がない」は本当か?
     
    実は日本こそ資源大国で、ピンチをチャンスに、つまり中東の石油に頼ってきたこの国を、再生可能エネルギーで豊かにするチャンスなのだ。
     
    地震大国であるということは逆に火山活動が活発だということ。例えば、九州や北海道は地熱発電の最適地。原子力ムラはこの事実を意図的に隠した上で、危険な原発を推進する。
     
    日本は中心軸が急峻な山脈で雨が多いので、河川は急流となり海へと注いでいる。この急流に小さな水車を並べていけば小水力発電が可能。また四方を海に囲まれているので洋上風力発電の最適地である。日本海は急に深くなっているので海底から風車を建てるのには適していないが、技術の進歩で「浮体式風車」が開発済み。海上は遮るものがないので風が強く吹く。周囲に人は住んでいないので、陸上風力発電よりも地域住民ともめることは少ない。
     
    漁業権を補償すればおそらくたくさんの浮体式風車は可能だ。逆に風車の基盤が海に沈むので、そこが魚礁になったりする。漁師さんたちとの共存は可能だろう。風力や小水力や地熱は太陽光と違って夜も、つまり1日中発電できる。
     もちろん、太陽光発電も進めていくべきだ。農家の高齢化が著しく、耕作放棄地が増えている。注目されているのは「営農型太陽光」。農地の上にパネルを敷き、上で発電、下で耕作。陰生植物であるほうれん草やレタス、ニラなどはあまり太陽が当たらない方がよく育つ。昨今の地球温暖化の影響もあって、屋根にパネルがある耕作地の方が農作業もしやすくなるだろう。
    ……

  • 18面~19面 フクシマ後の原子力 首相の弁 遠のく核廃絶(高橋宏)

    「あの日」から81年。今年も広島と長崎の原爆忌が巡ってきた。8月6日に広島で開かれた平和記念式典には海外から過去最多の121の国と地域の代表らが参列するなど、世界的な関心の高まりが感じられる一方で、核をめぐる状況は悪化の一途をたどっている。
     
    核戦争などで人類が絶滅するまでの残り時間を示した「世界終末時計」は、昨年の89秒からさらに4秒進んだ。主要国が国家主義的となり、リスクを増大させていることが要因とされる。
     
    広島市の平和宣言で松井一実市長は為政者に対し「このままでは世界中で不信の連鎖が進み、欲望がむき出しになっていた第2次世界大戦の時代に回帰してしまいます」と警告し、日本政府に対しては「日本国憲法が掲げる崇高な理想を深く自覚し、国際社会において名誉ある地位を占めるための歩みを止めないでいただきたい」と求めた。
     
    長崎市の鈴木史朗市長も平和宣言で「不戦の決意が込められた日本国憲法の平和の理念と非核三原則を堅持し、国際社会の緊張緩和と軍縮に向けた外交を強化してください」と訴えた。
     
    両市とも平和宣言で、11月に開催される核兵器禁止条約の再検討会議への参加を促した。平和宣言はもちろんのこと、被爆者の声に誰よりも耳を傾けなければならない為政者が日本の首相であるはずだ。しかし、7月に小泉進次郎防衛相が、外遊先のベルギーなどで核をめぐる議論について「あらゆるタブーなく、議論しなければならない」と述べ波紋を広げた際に、高市早苗首相は「お咎めなし」としてきた。
     
    その高市首相が、広島・長崎でどのような挨拶をするのかが注目されたが、失望を通り越して絶望的な内容だった。両市での挨拶や記者会見で高市首相は、非核三原則について「堅持している」と表明したものの、現状の事実関係を説明するにとどめた。核兵器禁止条約についても言及することなく、結果的に年末に予定されている安保関連3文書の改訂に向けて、非核三原則を見直す可能性に含みを残したのだ。
     
    非核三原則の見直しは、就任前からの高市首相の持論であることを考えれば、今回の発言はある意味、想定通りのものであった。とはいえ、それを広島、長崎で、被爆者や遺族の前でやってのけるとは、まさに厚顔無恥そのものではないか。だが、そのような為政者の存在が、日本社会にじわじわと戦前回帰の空気を広げていることを、私たちは警戒しなければならない。
     
    それは被爆地である長崎も例外ではなかった。今年の平和宣言の起草にあたって、委員を務めた長崎原爆被災者協議会の田中重光会長は「日本の軍事費がどんどん拡大している。戦前を思い出すような動きが今、日本で起きていることを訴えてほしい」と鈴木市長に求めた。だが、結果的に平和宣言で日本の防衛力増強などの動きに触れることはなかった。
     
    また、長崎原爆資料館では原爆が「なぜ」落とされたのかを考える上で、「戦争があったから原爆が落とされた」ことを示すコーナーがある。そこでは1931年の満州事変から日中戦争へ、さらに太平洋戦争の勃発から敗戦までを、日本軍の加害行為と共に紹介する展示があった。だが、約30年ぶりとなる大規模な展示リニューアルが進められている中で、同展示の縮小や、パネルの「南京大虐殺」の記述を「南京事件」に変更することなどが検討されている。
     
    開館時、当時の伊藤一長市長は「自らの反省なくして、核兵器廃絶の訴えは決して世界に届かない」として、原爆が投下されるに至った歴史的背景として、日中戦争と太平洋戦争の重要性を強調していた。今回の展示見直しには、そうした反省の決意は継承されていない。
    ……

  • 20面 こちらうずみ火編集部 李香代さん控訴審勝訴(栗原佳子) ※全文紹介

    大阪在住の在日コリアン3世、李香代(イ・ヒャンデ)さんがSNSの投稿でヘイトスピーチを受けたとして、大阪・泉南市の添田詩織市議(自民)に対し550万円の損害賠償と投稿削除を求めた訴訟の控訴審判決が7月29日、大阪高裁であった。谷口安史裁判長は添田市議に55万円の支払いを命じた一審判決を変更し、賠償額を88万円に増額した。しかし、民族差別という主張は一審判決に続いて退けた。李さんは判決を不服として8月12日、上告した。     
     
    李さんは大阪市のイベント制作会社役員。添田市議は議会内外で排外主義的な言動を繰り返し、泉南市と業務委託契約を結んだ同社について、根拠もなく「中国共産党がバックにいる」などと発言。一昨2月、同社が損害賠償などを求めて提訴すると、その直後からⅩ(旧ツイッター)上に、李さんの顔写真や、朝鮮学校の無償化を求める活動に参加したことなどを拡散した。
     
    昨年10月の大阪地裁判決は名誉棄損、プライバシー侵害、肖像権侵害を認め、55万円の損害賠償と投稿削除を命じた。一連の投稿が「一定の政治的思想を持つ者による個人攻撃を誘発する危険性を含む」(いわゆる「犬笛」)とも認定した。しかし、「属性一般に着目した攻撃とは認められない」とした。
     
    控訴審で李さんは市議の投稿が国連の人種差別撤廃条約に違反すると主張。大阪高裁は名誉棄損とプライバシー、肖像権の侵害をより重く認定して賠償金を88万円に増額したが、「人種差別であるとか、被告に人種差別の目的があったなどという事実は認めることはできない」と退けた。
     
    判決後の報告集会で田中俊弁護団長は「人種差別撤廃条約の要件すら検討していない。司法の任務を放棄した」と批判。李さんは「納得がいかない。明らかにコリアンに対する差別に基づいた投稿だった。だから私も子どもたちも深く傷つき辛い日々を過ごした」と悔しさをにじませた。
     
    李さんは8月12日、上告。「このまま曖昧なまま終わらせたらきっと後悔する」と決断したという。「もう私一人だけの問題ではない。理不尽なことにはノーといいたい」

  • 20面 こちらうずみ火編集部 長生炭鉱事故 芝居に(栗原佳子) ※全文紹介

    劇団「新宿梁山泊」が山口県宇部市の長生炭鉱で起きた水没事故を題材にした「海底骨歌」を大阪、東京、宇部の3カ所でテント公演する。脚本は趙博さん、演出は新宿梁山泊代表の金守珍さん。
     
    9月11~13日、大阪朝鮮中高級学校、21~23日、宇部・床波海岸、10月17~28日、東京・赤坂サカス広場。階段指定席前売5500円(当日6000円)。桟敷自由席前売4000円(当日4500円)。25歳以下は桟敷席限定で前売当日ともに2500円。チケットは「チケットぴあ」などで。

  • 21面 こちらうずみ火編集部 フィナーレ爆撃(矢野宏) ※全文紹介

    終戦前日、最後の空襲で500人以上の犠牲者が出た大阪・京橋駅空襲から81年。被災者の慰霊祭が8月14日に営まれ、遺族や地元住民ら約200人が焼香し、手を合わせた。大阪砲兵工廠を狙った1㌧爆弾が京橋駅を直撃した。 

    「もう1日早く戦争が終わっていれば……」。慰霊祭で話を聞いた吉富玲子さん(1931年生まれ)=東大阪市=がよく口にしていた言葉だ。
     
    空襲当時13歳。2年前に父と姉を亡くし、母(当時48)と長兄(同19)、次兄(同15)との4人暮らし。長兄に召集令状が届き、母と兄を大阪駅まで見送るため、桃谷駅から電車に乗り込んだ。途中で空襲警報が発令され、吉富さんらを乗せた大阪行きと天王寺行きとも最寄りの京橋駅で緊急停車し、惨劇に遭った。
     
    生き埋めとなり、夕方に救出された吉富さんは聖賢国民学校の講堂に収容された。15日昼過ぎ、次兄から母と長兄の死、そして戦争が終わったことを知らされた。
     
    日本がポツダム宣言の受諾を連合国側に伝えたのは1945年8月10日だった。
     
    終戦20日前の7月26日、米英中の政府首脳は連名で13カ条のポツダム宣言を発表し、日本に無条件降伏を勧告した。だが、日本政府は黙殺する。国体護持(天皇制維持)についての確証が持てなかったことと、ソ連を仲介にした和平交渉の道を探っていたためだ。だが、ソ連は2月のヤルタ会談で米英と秘密裏に協定を結び、日本との戦争に参加することを決めていた。
     
    8月6日、広島に原爆投下。9日にソ連が日ソ中立条約を破棄して侵攻した。日本は講和のための仲介者を失う。
     
    首相・外相・陸相・海相・陸軍参謀総長・海軍軍令部総長からなる「最高戦争指導会議」で話し合いが行われた。9日午前11時過ぎ、長崎原爆の投下の情報が入ったが、議論は平行線のまま、深夜に昭和天皇が列席して御前会議が開かれた。翌10日午前2時過ぎ、鈴木貫太郎首相が天皇の聖断をあおぎ、国体護持を条件にポツダム宣言を受諾することを決定。中立国経由で連合国へ伝えられた。
     
    米軍は事態を静観し、大規模空襲を一時的に中断した。
     
    米国のバーンズ国務長官はラジオを通して「日本国天皇および政府の統治権は、連合軍司令官に『Subject to』することがある」と演説した。

    この解釈をめぐり、外務省は「制限下に置かれる」と解釈。陸軍は「隷属する」と訳し、連合国側に再照会すべきだと主張した。
     
    結論を出せない日本に対し、和平交渉が引き延ばされているとみた米軍は13日に最後の爆撃命令を下す。
     大阪砲兵工廠のほか、山口県の光海軍工廠(光市)と麻里布鉄道操車場(岩国市)、日本石油秋田製油所(秋田市土崎)への精密爆撃とともに、埼玉県熊谷市と群馬県伊勢崎市が焼夷弾による無差別爆撃を受け、2400人以上が犠牲になったという。
     
    14日午前11時からの御前会議でポツダム宣言受諾を正式に決定したが、大阪へ向かうB29は午前6時前後にサイパン島を離陸していた。国体護持のためにポツダム宣言受諾を渋った日本政府のためらいが、これまでで最も大規模な本土空襲「フィナ―レ爆撃」をもたらした。

  • 22面 経済ニュースの裏側 「協調介入」(羽世田鉱四郎) ※全文紹介

    日米両政府は、7月末から協調して「円買いの為替介入」を実施しました。規模は約12兆円。アジア通貨危機(1998年)以来、28年ぶりの規模です。その背景を探ってみます。
     
    米国の事情 世界の中央銀行が保持する米国債の売却(債券価格の下落、利率の上昇)は避けたい。米イラン情勢の緊迫から、原油高に起因するこれ以上のインフレ加速は阻止したい。住宅ローンの負担増など、国民の不満も高まっており、11月の中間選挙への悪影響も懸念されます。何としても、米国債の売却による長期金利の上昇は避けたく、外国の中央銀行(特に日銀)へのドル資金の供給も準備しました(FIFAレポ・ファシリティ)。具体的には買い戻し条件付きでの、米国債を担保にしたドル資金の融通です。日本は1・3兆㌦(約200兆円)の外貨準備を保有していますが、大半は米国債です(ドル158円の評価=7月号参照)。カムフラージュとしてユーロ売り、円買いも実施しました。
     
    日本の事情 高市政権の経済政策はハチャメチャ。先ごろ閣議で「骨太2026」を決定しましたが、財政収支を単年度で黒字化する目標は取り下げ。財源を明確にせず、食品の消費税を1%、補助金の増額、国債の増発に意欲的です。日銀の利上げにも反対。円安の加速や財政悪化への懸念は避けたいという、誠に都合のいい身勝手さがあふれています。「輸出産業はどんどん輸出できるチャンス」「外為特会も余剰資金も増える」と相変わらずの経済オンチ。8月号で触れましたが、円の実質実効為替レートは、6月に変動相場移行後の最安値を更新し、物価高は止まりません。内閣の支持率も下落傾向にあります。
     
    日銀の事情 国債の半分近く(45・7%、25年12月末)を保有し、過去最大の評価損を抱え、世界に例を見ないレベルの債務超過の中央銀行です。「日銀に国債をもっと買ってもらえば」との高市首相のコメントは、安倍政権の悪夢をほうふつさせます。国内の物価が上昇し、米国との金利差も拡大。投機筋による「低金利の円を購入し、高金利のドルなどへの投資(円キャリートレード)」も活発で、新規発行の国債利率や政策金利などは上昇傾向にあり、保有国債の評価損はさらに拡大しています。米国政権からの金利上昇を抑止する圧力も増しており、植田総裁は、日銀の深刻な現状と高市政権との狭間に揺れています。
     
    今後の見通し 対ドル163円が、介入直後は155円を記録も、次第に円安傾向に戻り、8月8日時点では157・8円に。今回の協調介入は「その場しのぎ」にすぎません。市場もそれを見越しています。米国経済ですが、24年は堅調でしたが、25年は景気後退の兆候が見られ、第2次トランプ政権の不透明な政策もあり、景気後退の兆しが見られます。財政赤字も、20年以降は拡大傾向に。高市政権は米国に対し、防衛費の増額や5500億㌦(約84兆円)の大型投融資計画を発表するなど、対米従属外交に傾斜しています。
     
    市場では、強引な政権運営の先行きを危ぶみ、「サナエショック」の到来と懸念しています。皇室典範の改正もそうですが、国民の声に素直に耳を傾けた政策が望まれます。財政政策は、「税の歪み」を是正し、規律を守ることが求められています。将来の禍根を残さないためにも。  

  • 23面 会えてよかった 吉田勝廣さん① ※全文紹介

    「この事件を忘れない、繰り返さ
     せない」
     
    2026年4月28日付沖縄タイム
    スによると――
     
    うるま市で16年、ウオーキング中
    だった20歳の女性が、元米海兵隊員
    で軍属の男に殺害された事件から28
    日で10年がたつ。(中略)女性の遺
    族と親交がある元金武町長の吉田勝
    廣さん(81)は27日、今年も恩納村
    の遺棄現場に献花台を設置して手を
    合わせた。
     
    そして記事の最後はこう結ばれて
    いた――
     
    (吉田さんは)「この事件を忘れ
    ない、繰り返させない」。何度も口
    にし、献花台の花やぬいぐるみを見
    つめた。
     
    10年間通い続ける
     
    この記事によれば、吉田さんが最
    初に花を供えたのは事件発覚後の16
    年5月。その後、多くの人たちが供
    えた花々を管理するようになった。
    定期的に水を取り換えたりしてきた
    とのことである。
     
    この事件と私
     
    私は事件発覚後、遺
    棄現場の献花台を訪ね
    て、手を合わせた。こ
    の事件で基地はなくさ
    ないといけないと強く
    思うようになったので
    ある。
     
    そして今年、先ほど
    の記事を読んで、吉田
    さんの思いを知り、初
    めて4月28日に亡くなった彼女に手
    を合わせに行った。
     
    吉田さんにお会いすることもでき、
    後日、お話を聞かせていただくこと
    になった。
          ※※※
     
    快く取材を受けてくださることに
     
    5月初め、吉田さんに電話。する
    と夕方から宜野座に行くけれど、12
    時(正午)からならいいですよと言
    ってくださった。81歳、私より3歳
    年上なのに、お元気で、活動的な方
    だなと思いながら、早速、吉田さん
    の事務所に向かった。
     
    県道73号で恩納村から、うるま市
    石川に。その後、国道329号を北
    上するのである。東海岸沿いを走っ
    て、屋嘉、伊芸を過ぎ、海から離れ
    て少し坂道を上ると米軍キャンプ・
    ハンセンの金網が現れる。約束の12
    時に第1ゲートに到着すると吉田さ
    んが事務所まで案内してくださった。
     
    事務所はキャンプ・ハンセン門前
    の新開地にある元キャバレー
     
    2022年の沖縄タイムスによれ
    ば、事務所は1960年代に建てら
    れた元々はキャバレー。かつては多
    くの米兵が訪れたけれど、空き家と
    なり事務所にしたもの。金武の歴史
    を振り返ることができる拠点として
    これからも守っていくつもりだ、と
    のこと。事務所に入ると米兵たちが
    酒を飲んでいただろうカウンターが
    あり、酒瓶が並んでいる。でも壁一
    面に吉田さんが持ち込んだ本が並び、
    机や棚には、これまでの活動がわか
    る新聞記事などの資料が置かれてい
    た。       

  • 24面 日本映画興亡史 国策にのまれた人間愛(三谷俊之) ※全文紹介

    戦前から戦後にかけて、多くの文芸作品を監督した豊田四郎(1906~77)は、文芸映画の名手と呼ばれた。森鴎外の名作「雁」、織田作之助の代表作「夫婦善哉」、谷崎潤一郎「猫と庄造と二人のをんな」、川端康成「雪国」、志賀直哉「暗夜行路」、永井荷風「濹東奇譚」、有吉佐和子「恍惚の人」などは、いずれも大きな評価を受けている。豊田は作品における人間造形にすぐれ、粘着力のある演出により、可笑しくも切ない人間模様を描いた。
     
    ただ戦時下の時代、豊田四郎は、決して小さくはない二つの瑕瑾(かきん)を背負った。その一つが40(昭和15)年に公開された「小島の春」だ。小川正子の記録文学が原作。小川はハンセン病の救済活動に生涯を捧げた女医だった。
     
    豊田らは40年2月から、瀬戸内海の孤島にある長島愛生園を中心にロケハンを開始した。しかし、地元島民からの強い反対を受け、現地ロケを断念。瀬戸内海の風景は撮ったものの、静岡の西伊豆や長野県小諸、そしてセットで撮影した。映画はキネマ旬報1位にランクイン。しかし、当時のハンセン病に関わる誤った知識や対処法をもとに描いたことで以後に批判を浴びた。
     
    もちろん現在の価値観で断罪できないが、すでに40年代の欧米ではハンセン病は遺伝ではなく、感染力も弱く、発病はごくまれ。そして有力な治療薬が開発されていた。それらの情報がわが国では遮断されていた。「らい予防法」が廃止となったのは、はるか後の96年だった。
     
    豊田の次作は同年の「大日向村」だ。長野県山間部の狭隘な農地しかない大日向村は、山林伐採や養蚕、出稼ぎ、女工などをしても貧しい村だった。そこに国が推進する満州開拓団の話が起き、村は推進派と残留派に分裂。先遣隊が満州に送られ、次第に推進派が増え、村の半分が分村として満州に渡っていく。
     
    映画は「前進座」の総出演により、移住にいたるまでの人間模様を描いている。豊田は誠実に繊細に、山村の貧しい農民たちに寄り添った。当時、いわゆる戦意高揚映画群が勇ましい戦争や兵士を描いても、どれだけ国民の戦意高揚に役立ったかはわからないが、この映画は称賛されて全国的に模範村とされた。
     
    映画評論家の佐藤忠男は、「この映画の公開以後急速に満州移民の志望者が増えている事実によって、宣伝効果がかなりはっきりと確かめられ、さらにその直接的な結果として、多くの人々がいかに悲惨な経過が分かっている国策映画である」(「日本映画史―2」)と論じている。
     
    映画は移民の実態ではなく、農民たちの開拓者精神を賛美する。しかし、入植地はもともと漢族、満州族、朝鮮族などの土地であり、大日本帝国の意を体した侵略行為そのものだった。もともと豊田監督は軍国主義や右翼思想からはほど遠く、弱い者、貧しい者への側に立つヒューマニズムの持ち主だが、結果的にこの時代の国家の意向に取り込まれ、利用されることになった。

  • 25面 坂崎優子がつぶやく 偽メール見極める

    改正された個人情報保護法についての2回目です。今回の改正ではデータ保護が強化されたものもあります。
     
    一つは生体データです。顔認証データなど、本人を識別する「身体の一部の特徴」に関する情報が、新たに「特定生体個人情報」として定義され保護の対象になりました。「特定生体個人情報」を扱う場合は、本人に知らせる義務が生じます。
     
    また、これまで利用停止を求める場合には「権利侵害の証明」などが必要でしたが、今後は事業者に違法行為がなくても、「自分のデータの利用を止めてほしい」と本人が請求できる権利が導入されました。さらに本人が「いいえ」と意思表示をしない限り自動的に対象となる、「オプトアウト」方式による第三者提供も禁止されます。
     
    この「オプトアウト」方式は、ユーザーを誘導できる事業者側に有利な方式です。ちなみに8月から始まった、年金口座と公金受取口座を紐づける制度もこの方式を採用しているので要注意です。同意しない人は45日以内に、送られてきたハガキを返送する必要があります。そのままにしておくと同意したものとして、年金機構の情報を政府に提供することになるので、該当者は気をつけてください。
     
    次に法改正で強化されたものが、子どもの個人情報保護です。16歳未満の同意取得については、法定代理人(親権者など)からの同意を得ることが義務として明文化されました。ただネットサービスで、同意した相手が誰かを判断するのは難しく、どのように実効性を持たせるのかは疑問です。
     
    そして新設されたのが「連絡可能個人関連情報」です。これはメールアドレスや電話番号、クッキーID(Webサイトにアクセスした際の情報)など、特定の個人への働きかけを可能にする情報のことです。氏名が含まれなくても、メールアドレスがわかれば、フィッシング詐欺などに悪用できます。
    ……

  • 26面 絵本の扉(遠田博美) ※全文紹介

    ドイツの作家、エーリッヒ・ケストナーは児童文学作家で、「エミールと探偵たち」「ふたりのロッテ」「点子ちゃんとアントン」などの作品で知られています。第2次世界大戦前から活躍していましたが、この作品は終戦から4年後の1949年に発刊されました。
     
    物語は、「ある大きな国際会議が失敗した」というニュースから始まります。話し合いが決裂し、次回の会議の目途も立たないというニュースを、北アフリカのチャド湖のほとりでライオンとゾウ、キリンがあきれ顔で聞いています。 彼らは口々に「人間どもはなんでうまく話し合いをまとめられないのか」と怒りをこめて語り合います。「人間は、魚のように泳げ、キリンのように走れ、カモシカのように山に登れ、ワシのように空を飛べるのに会議をまとめられず何をやらかそうとしているのか!」。ライオンがうなります。「戦争さ!」。ゾウが続けます。「いつだってひどい目に合うのは子どもたちだ。そして、いつも大人はそれを子どもたちの未来のためにやったという」
     
    話し合いをしている3頭のイラストの次のページには、戦禍に見舞われ炎に逃げ惑う動物たちと子どもたちが描かれています。イラストは、ケストナー作品のほとんどを手がけたトリアーです。
     
    いまだに戦争を終わらせられない人間の愚かさへの怒りをケストナーは動物に語らせ、トリアーはそれを世界地図に描き、人間は砂の中に頭を突っ込んでいる奴らだと読み手に伝えます。さらに、人間が戦争を終わらせる手立てを持ち合わせていないことを3頭とその家族に語らせます。そして3頭は、人間をこれ以上放っておけないと行動に出ます。
     
    世界中の各大陸の動物代表に連絡を取ります。「子どもたちのために、4週間後に世界中の全種類の動物の代表を集めて会議を行う」と。その様子を表現したページがとてもユニークで楽しいです。大きな動物から海洋生物、ミミズやバッタやカタツムリまで……。知らせをきいて動物たちが世界中から集まって来る場面は、ケストナーのユーモアと風刺にあふれる文章表現とトリアーの楽しく的確な描写で読み手をグングンとお話に引き込んでいきます。
     
    ここで動物たちは、各大陸からの様々な民族の子どもたち5人を招待します。動物たちと子どもの代表が動物ビルに集まり、各国の「おえらいさん」が集まる会議と同じ日に動物会議が始まります。2ページにわたる動物会議開会の描写は圧巻です。会場に翻る横断幕には、「子どもたちのために!」とあります。ゾウの議長が高らかにベルを鳴らし開会宣言をする中、全世界から集まった動物たちが発言し、歓声を上げる様子が生き生きと描かれます。会場の高揚する様子を、トリアーはケストナーの表現を細かく隅々まで描写します。
     
    シロクマが、開会宣言で人間に言い放つ要求に、会場は割れんばかりの拍手で応えます。「おえらいさん」たちはその要求を全く無視して自己中心的な会議しかしません。さて、いったいどうなるのか。動物たちは要求貫徹のために、最後の手段に打って出ます。それは何でしょうか。
     
    奇想天外の作戦の結果は……大成功! 「おえらいさん」たちが調印した五つの条約の内容は何だと思いますか。
     
    戦後81年経っても紛争が絶えない今こそ読むべき作品の一つです。

  • 27面~30面 読者からのお手紙&メール(文責 矢野宏)

    地震発生1カ月
    落ち着かぬ日々

      熊本県八代市 横林政美
     
    地震お見舞いの連絡をいただき、ありがとうございました。7月28日に地震が発生した翌日から毎日、震度1~3の余震が続いています。気持ちが落ち着きません。幸い停電がなく、井戸水を利用できるので、生活する上では不自由はありません。
     
    ただ、私を含め、築50年くらいの友人の中には、住まいにひびが入った人が多いようです。従兄弟は納屋がつぶれ、農機具や車がつぶれたと友人は途方に暮れています。
     
    地震発生から1カ月くらいは注意をとの報道がありますが、台風は数日前から心の準備ができますが、地震は何の予告もありません。落ち着かない日々がまだまだ続きます。
     
    (地震発生の2、3日後、電話してもなかなか通じなくて心配しましたが、電気も水も大丈夫ですとの声を聞き、安心しました。余震が続いているのですね。くれぐれも体調を崩されませんように)
    ……

  • 28面 車いすから思う事(佐藤京子) ※全文紹介

    刺さるような太陽の光が降りそそぐ。車イスのシートは焼けついた路面と変わらない。手動の車イスより楽な簡易型の電動車イスを使用しているが、蒸し焼きにされているようだ。避けた方が無難である。
     
    お盆休みは、人混みが少しゆったりしているように感じる。普段にはあまり耳にしない幼子の泣き声に驚いたりする。家からスーパーへ向かう時も、日ごろは狭いと感じる歩道でもすいすいと歩行者を追い抜いていける。とはいえ、ダラダラ歩かれるとストレスがたまる。ホッとできるのは地下鉄のコンコースだ。空調が整い、電車がホームへやって来る際の風も感じられる。いつもならなかなか乗り込めないエレベーターもベビーカーと一緒にゆったりと乗ることができる。
     
    立秋を過ぎ、夕方になると少しだけ気持ちのいい風が感じるようになってきた。どの季節にも過ごしやすい時と過ごしにくい時がある。夏のように暑い時は本当に辛い。ならば冬がいいのか、と言われると、さてどうだろうか。単純に夏と冬はどちらが楽かと聞かれると、夏よりは冬だ。暑くても服を脱ぐことはできないが、寒ければ服を着ればいいから。
     
    車イスドライバーになって、外に出ることが激減した。体力の限界を突きつけられることが多くなり、無理をすると体調を崩してしまう。自分の身は自分で守らなければならない。誘いを断るコツもつかんだ。その結果、出不精になって一時期は引きこもりかと思うほどだった。
     
    再び、公共交通機関を利用して外出をするようになったのは、介助犬を家族として迎えたことが大きい。初代のニコル君、2代目のイムア君だ。今までの生活から変わろうとするきっかけになった。介助犬は生活を変えるツールになってくれた。介助犬の生活に合わせて夏の過ごし方が変わった。無理をしない生活が手に入った。

  • 30面 うずみ火掲示板(矢野宏) ※全文紹介

    8月1日
    黒田さんを偲び
    ライブで大笑い
     
    コント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバーだった松崎菊也さんと石倉直樹さんを招いての「黒田清さんを偲び、平和を考えるライブ」が8月1日、大阪・豊中市のすてっぷホールで開かれ、時の権力者を嗤う都々逸(どどいつ)と風刺コントが披露された。思いがけないゲスト――トランプ大統領(菊さん)と高市首相(チョッキさん)の登場に、会場は大きな笑いに包まれた。

    8月15日
    桂花団治さん
    伝戦落語披露

    うずみ火講座が8月15日、大阪市のクレオ大阪西で開かれ、桂花団治さんが新作の伝戦落語「みがきにしん~樺太真岡の記憶」を披露した。
     
    花団治さんの育ての母親は樺太(現サハリン)真岡郡蘭泊村の生まれ。7歳で敗戦を迎え、旧ソ連軍の襲撃を避けながらの避難した。
     
    花団治さんは7月、北海道の稚内市樺太記念館などを訪ね、職員から引き揚げの途中で赤ちゃんがミルクとともに置き去りにされたことを聞き、「母もそんな光景を見たのか」と想像を広げ、5作目となる伝戦落語を創作した。

  • 30面 編集後記(矢野宏) ※全文紹介

    太平洋戦争中の名古屋空襲で左目と鼻の上部をえぐられた杉山千佐子さん(2016年9月、101歳で死去)は戦後、住まいも仕事もなくし、生きるために職を転々とする。実入りがいいからと、化粧品のセールスをしたこともあった。「蔑んだ眼差しで『いりません』と断られたり、子どもを呼んで『言うことをきかないと、おばちゃんみたいな顔になるよ』と言われたりしたこともありました」▼大学教授寮の寮母に採用されたのは50歳の時。ある教授から「戦時中には民間の空襲被害者も援護の対象になっていた」ことを聞く。戦後、軍人・軍属への補償を定めた法律も廃止されたが、日本が独立を回復した1952年に再び制定され、翌年には軍人恩給も復活する。これまでに60兆円の年金や恩給が支給されたのに対し、民間被害者はゼロ。政府は、戦争という国の存亡にかかわる非常事態のもとでは、国民は等しく耐えなければならないという「戦争損害受忍論」を押しつけているからだ。同じ敗戦国のドイツとイタリアでは、軍民格差、国籍に関係なく補償しているのに▼杉山さんは72年に「全国戦災傷害者連絡会」を立ち上げ、民間の空襲被害者救済運動の先頭に立つ。翌73~89年まで救済法案が国会に14回提出されたが、すべて廃案になった。その後、被害者らは国に謝罪や賠償を求める集団訴訟を東京、大阪で起こしたが、いずれも敗訴した▼救済を目指す動きは再び国会に移り、2015年に超党派の「空襲議連」が結成され、救済法案を38年ぶりに先の特別国会に提出した。だが、皇室典範改正や国旗損壊罪を創設する法案などが焦点になる中、審議もされず廃案となった。閉会した国会への対応を問われた高市首相は「反省点はありません」と返答している▼杉山さんが残した言葉を思い出す。「民間被害者を救済する法律がないと、いつも踏みつけていいという政府の考えを通すことになってしまう。戦争で傷ついた人間が存在したという証、痛みをわかってほしい。戦争を始めた国の責任を明確にして償ってほしいのです」 

  • 31面 うもれ火日誌(文責 矢野宏) ※全文紹介

    7月17日(金)
     午後、竹腰英樹さんと石田冨美枝さんがチラシのセット作業。ありがたい。
    7月18日(土)
     夜、大阪市立淀川区民センターで第7回「辺野古支援者学習会」が開かれ、矢野が「動かぬ米軍基地――普天間返還合意から30年」と題して講演。普天間返還は「辺野古が唯一の解決策」との政府の主張は嘘だったと訴える。
    7月19日(日)
     矢野、栗原 午後、改正皇室典範について「天皇制と部落差別」などの著書がある上杉聰さんに話を聞く。「万世一系の幻想を拠り所とした右翼団体にあおられて『オウンゴール』を決めたようなもの」と一刀両断。
    7月22日(水)
     次々にチラシが届き、金順玉(キム・スノク)さんが。23日には佐野哲郎さんと鈴木くみ子さん、多田一夫さんがチラシのセット作業に。
    7月24日(金)
     発送予定日だったが、印刷会社から届かず。大村和子さん、長谷川伸治さん、柳田充啓さん、康乗真一さん、樋口元義さんが残りのチラシをセット、封筒に入れていく。「明日は2人で大丈夫」と慰労会。
    7月25日(土)
     午前、創刊250号となる「新聞うずみ火」8月号が届き、矢野と栗原が発送作業。午後、矢野は高槻市のクロスパル高槻へ。「子どもたちと考える『戦争と平和』展in高槻・島本2026」の平和講演会で「軍都大阪と大空襲、そして今、戦争を語り継ぐ」と題して講演。打ち上げにも参加し、栗原にLine「すまん。あとは任せた」
    7月26日(日)
     広島・長崎の悲劇につながった模擬原爆「パンプキン」が大阪市東住吉区田辺に投下されて81年。爆心地に近い恩楽寺で追悼式が営まれ、矢野、栗原が取材。夜、矢野は大阪市内のホテルで開かれたJR貨物労組関西地本「第41回定期地本大会」懇親会で挨拶。
    7月29日(水)
     夜、門真・寝屋川・守口地区の「北河内平和人権センター」主催の講演会が門真市民文化会館で開かれ、矢野が「大阪空襲の記憶を語り継ぐこと」と題して講演。第2部では、平和学習を実践している3人の教師と意見交換。
    7月30日(木)
     午後、事務所で茶話会。高市政権批判で盛り上がる。
    7月31日(金)
     夜、事務所で定岡由紀子弁護士を囲んでの「憲法BAR」。
    8月1日(土)
     午後、豊中市のステップホールで「黒田清さんを偲び、平和を考えるライブ」。コント集団「ザ・ニュースペーパー」結成時のメンバー松崎菊也さんと石倉直樹さんを今年も招き、風刺&コントで会場は大笑い。
    8月5日(水)
     栗原 夕方、広島入り。「黒田清 記者魂は死なず」の著者、有末和生さんが講師を務める中国新聞文化センターの文章教室でミニ講演。
    8月6日(木)
     広島原爆の日。大阪の小中学校では夏休み中の児童生徒が登校する「平和登校日」。矢野 午前、大阪市立南中学校の2年生に平和学習講話。「大阪大空襲を知っていますか」と題して45分、休憩をはさんで45分の計90分、パワーポイントを使って話す。
     栗原 午前、「ヒロシマ連続講座」を主宰する竹内良男さんが案内する「被爆者に〈出会う〉碑巡り」へ。午後は一般公開中の放射線影響研究所(放影研)、竹内さんのアドバイスを受け、原爆投下直後に救護拠点になった被爆建物を改修した「旧広島逓信病院外来棟平和資料館」や周辺の慰霊碑などを回り、夜、帰阪。
    8月7日(金)
     矢野 午後、滋賀県栗東市で開かれた「人権啓発リーダー講座」で講演「戦後80年 戦争の記憶を記録として伝える」
    8月9日(日)
     栗原 夕方、東京・文京区で開かれた「ヤスクニの闇へ 第20回キャンドル行動」
    8月11日(火・祝)
     矢野、栗原 夕方、「子どもたちと考える『戦争と平和』展in高槻・島本」最終日。
    8月12日(水)
     矢野 午前、大阪公立大の北原恵さんの依頼で、学生たちを対象とした大阪城戦跡フィールドワーク。時折小雨がぱらつく城内を散策し、解説。
     栗原 アジアフォーラム横浜主催の第51回「日本軍による戦争の傷跡をたどり学ぶ旅」でマレーシアへ。17日帰阪。

  • 32面 うずみ火講座案内(矢野宏) ※全文紹介

    9月26日(土)午後2時半~
    冨田教授「止めよう維新政治」

    9月のうずみ火講座は26日(土)午後2時半~大阪市北区のPLP会館で開講。講師は関西学院大の冨田宏治教授(政治学)で、演題は「大阪都構想―3度目の挑戦を阻止し、維新政治を終わらせよう」。
     
    冨田さんは「大阪市を守るために維新政治を止めなければならない」と訴えています。

     今月は以上になります。残暑が厳しいですが、どうかくれぐれもお身体に気をつけてくださいね。栗原

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